恒産ある者にしか恒心はない・・・か?



 シンガポールを訪ねたのは、12年ぶり2度目である。

 実は、成田を1時間遅く出る飛行機の切符を買うと、旅費を1万円安く抑えることが出来た。ケチな私がそれをしなかったのは、到着が0時を過ぎると、都心への移動手段がタクシーしかなくなり、しかも、シンガポールのタクシーは、深夜料金が50%増しになると知っていたからである。空港は都心から25キロくらいあるので、1時間という時間+相当額のタクシー代を失うことを考えると、1万円は高くないなと思った。タクシー利用になる可能性を少しでも減らすため、私は珍しく(初めてかも?)成田空港で両替をし、50シンガポールドル(約4500円分)を入手しておいた。

 問題は、23:15着の飛行機が遅れた時である。最終のエアポートシャトル(バスに近い乗り合いタクシー。800円。地下鉄の最終はもっと早い)は0:00発だ。当然預けるほどの荷物は持たないにしても、広いチャンギー空港で、ゲートから入国審査や税関を経て到着ロビーに出、エアポートシャトルの窓口にその時間までにたどり着けなければ、1万円払った上に、タクシー利用というダブルダメージになる。

 幸い、飛行機は定刻に着いた。足早に空港の外に出ると、23:40のシャトルに間に合った。シャトルはあまり車の走っていない深夜の道路を狂ったように走り、飛行機が止まってから1時間後、既に私はホテルの部屋に居た。

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 以前にも思ったことだが、シンガポールは本当に快適な街(国)である。何が快適かというと、以下のようなことである。

・とても機能的、合理的に街が出来ている。

 手続きに時間がかかるとか、交通機関が停滞するということがない。様々な表示も親切でとても分かりやすい。トイレも概ね清潔だし、水道の水が不安なく飲める国というのも珍しい。無粋に空を横切る、私の大嫌いな空中電線もない。

・異質な人間に対して非常に寛容である。

 「異質」という言葉を使うこと自体が間違いかも知れない。白から黒まで、イスラム教徒からヒンズー教徒、キリスト教徒、仏教徒まで、いろいろな人がごちゃごちゃと混じって生活していて、「異質」と評するための基準が存在しない。みんなが「普通」で、みんなが「異質」といった趣だ。私の滞在時間は2回足してもわずかなので、偉そうには言えないが、シンガポール通のような人の話を聞いても、ここに人種的偏見、宗教上の対立があるようには思えない。

・言葉が通じる。

 上と関連するが、いろいろな人がいて、いろいろな言葉が入り乱れている。公用語である英語と中国語はほとんどの人が話せる(他にマレー語、タミール語も公用語だが、私が話せないので通用度は不明)。私が英語で話そうが中国語で話そうが、公用語だからとか、外国人だから英語、中国語というのではなく、英語と中国語の通じる人だから英語と中国語、というだけである。何を言っているのか分からない、ということがあっても、それも日常のうち、という感じだ。この自然さは気楽でいい。

・治安がいい。

 やはり関連するが、深夜の街を女性がひとり歩きをしている。ホーカーズ(フードコート)では、人が荷物を椅子に置いたまま、飲食物を買いに並んでいる。警官や監視カメラが、あちこちで目を光らせているという感じもしない。私服警官が居るかどうか知らないが、警官は見つけることが難しいくらいだ。人間を信頼できること。これに勝ることはない。

 これらの結果としてだろう、ホテルでも、買い物をしても、道を尋ねても、食事に行っても、接する人の全てが和やかで気持ちよかった。無愛想、つっけんどんな応対で不愉快を感じるということがない。総じて「都市は人を自由にする」を地で行くような場所である。

 こんなシンガポールを見ながら、私の頭に浮かんでくるのは、「恒産ある者には恒心あれども、恒産なき者には恒心なし」という『孟子』の有名な一節だ。「十分な収入・財産があることは、落ち着いた善良な心を持つための条件だ」というような意味だ。

 なにしろ、東南アジアの優等生である。戦後、独立するまでには20年の歳月を要したが、その後、正に国家として立志伝的な経済成長を実現させ、アジアの金融センターとなった。最近の円安という事情はあるにせよ、物価は高い。公共交通手段以外は、ほとんど日本並みかそれ以上である。街行く人々の持ち物を見ていても、道路に溢れる車を見ていても、豊かに潤っている国なのだ、と痛感する。この豊かさによってこそ、穏やかで寛容な国民性は養われたのだろうか?

 これは、日頃私が主張していることと矛盾する。今の「豊かさ」なんて「石油を燃やす」と同義語、そんなものにのぼせていてはいけない、お金がなくても、「豊か」でなくても、人はそれに代わる幸せを見つけ出せる、否、そこにこそ本物の幸せはある、というのが私の言い分だからだ。別に考えが変わったわけではないが、シンガポールの居心地の良さには、どうしても、その「豊かさ」が要因のひとつとしてあるような気がする。お金があり、「豊か」でなければ、どうしても人の心は荒むのだろうか?いや、そんなわけがない・・・と心の中で堂々巡りが始まる。

 何だか悔しい。でもやっぱり、シンガポールは居心地がいい。