すさむ心について

 授業のない(=生徒が来ない)学校で何をしているのか?と言われれば、答えに窮するのだが、なんだか疲れる。会議はほとんど毎日ある。会議で最も頻繁に耳にする言葉は「今のところは」だ。「おそらく」「かも知れません」「だろうと思います」といった表現も、必ずと言ってよいほど言葉の最後に付く。
 要は、新型肺炎問題で、先が全然見えないのである。緊急事態宣言が解除されたとは言っても、それが恒久的なものであるという保証はなく、首相が言っているとおり、「2回目もあり得る」というのは正にその通りだろう。解除は、あくまでも「今のところは」である。
 高校総体も中止。校内行事でも、既に春の体育祭はつぶれた。夏休みを短縮することにもなりそうだ。秋以降の行事だってどうなるか分からない。今、私が一番恐れているのは修学旅行(12月9~12日)の中止だ。たった4日の旅行と言ってはならない。それに行くために、事前に様々な学習の予定があり、そこにも他に換えがたい価値がある。終了後の記録の整理もいい勉強だ。つまり、修学旅行がつぶれるというのは、それに前後する20時間あまりの学習内容も含めて失うということなのだ。
 しかも、その可否をいつ決断すべきなのかも悩ましい。いくら準備をしても、「第2波」とか「第3波」が12月頃に来たらドタキャンせざるを得ない。ドタキャンはキャンセル料も高い。そんな事態が頭の中にちらつくと、準備へのモチベーションも高まらない。
 経済的ダメージを深刻に受けている業種の方々は、なお一層たいへんだろう。逆に、肺炎騒ぎが始まってから多忙になった職種の方々も、やはりたいへんだ。
 こんな中で、精神的な変調を来す人もいるだろう。そして、それは今後かなり増えるのではないか?
 かつて拙著『「高村光太郎」という生き方』でもずいぶんページを費やして書いたのだが、高村光太郎という詩人(彫刻家、書家、評論家)は、太平洋戦争の際、翼賛的な作品をたくさん書いたり、公的な場で発言したりして、戦後、戦犯候補にまでなる。なぜ彼がそんな道を歩んだのかというと、妻の死による精神的不安定(空虚感)、幼少期の家庭教育、明治という時代の影響など、いくつかのことが考えられる。
 公的な場での発言として、例えば次のものを見てみよう。昭和15年(1940年)に書かれた「芸術政策の中心」という文章だ(中央協力会議における演説の要旨)。

「芸術心ということについて、科学する心が見ることであるとするならば、芸術心とは物を味わうことであり、如何なる生活の中からでもそのよさを発見する心であり、人心を荒廃から救い支える力であるから、一般国民の間に埋没しているこの芸術心をめざめさせることに一切の芸術政策の中心を置き、それを目安にして、常にそこをふりかえりながらあらゆる施設をすすめるように簡単に希望した。今日は何よりも国民全般を内から支える力が必要であると思ったからである。」

 戦時下だからこそ芸術を大切にせよ、という主張は、どうも間が抜けている。こんなたいへんな時に何言ってるの?という感じだ。しかし、戦時に人心が荒廃するのはあり得ることで、それに対して危機感を持つのは正しい。
 『孟子』に「恒産ある者に恒心あり。恒産なき者に恒心なし」という言葉がある。同じ内容の言葉が、『孟子』全体の二箇所に出てくるから、おそらく人間観として重要なものなのだろう。簡単に言うと、経済的に安定している人は道徳的であることができるが、安定していない人は非道徳的になる、という意味である。
 新型肺炎で、それまで出来ていたことが出来ないことによるストレスが溜まる。この2~3ヶ月の非常に大きな経済的ダメージによって生活が困窮し、それによって心がすさむ人も現れる。そんな時にどんな手を打つのか?芸術心を喚起する、ではすまない。
 出来ることは、過剰予防によって、必要以上のストレスを作り出さないこと。もう一つは、金銭的な支援だ。だが、傷ついてしまった「心」そのものに対して、出来ることはあるだろうか?
 最近の傾向からいえば、「ケア」とか「フォロー」とか言って、誰かが善意による介入をするのだろうけど、それはいいことではない。むしろ私は、それこそを恐れる。
 本当に必要な措置だったかどうかは考える必要があるにせよ、仮に必要やむを得ない措置によって起こった問題に夜ならば、ある種の自然現象によって引き起こされたストレスである。耐えるしかないものは耐えるしかない。「どんな苦悩を持っていても、それを耐え忍び、自分一人で抱える権利が誰にもある」(→こちらのコメント欄にある)というのは、なかなかの名言だ。語ったのが精神科医であるだけに、含む意味は重い。自分を内側から支える方法は、自分自身で考えるしかないのである。そのことを忘れると、ことは悪循環を起こす。