ゴミ箱は昇降口

 今日は登校日だった。とは言え、奇数クラスのみで、しかも、午前が出席番号奇数、午後が偶数という超変則形。昨日は一斉に教室の消毒で、今日も、午前と午後の間に消毒。アルコールが手に入らないのか、次亜塩素酸の希釈液を使うので、椅子や机の塗料が剥げる。雑巾の消耗がひどい。
 生徒も教員も、全員マスク着用(義務)で、表情が読めないのはもとより、いったい誰かもよく分からん。しかも、気温が非常に低かったので、眼鏡が曇ってなおさら見えない。
 前回と違い、今日はほとんどの生徒が来た(→前回の話)。出席を取った後、保健厚生部から感染防止の心得が放送され、そこで「授業中の会話は厳禁」みたいな話があったので、品行方正な、いやいや、ひたすら従順な生徒達は、終始、本当にぴたーっと静か(何だぁ?こいつら!)。それでも、いいなぁ。生徒の来る学校。
 5月15日付けの文書というのが入り、6月からはクラス分割なしでの活動が可能になった。とは言え、一堂に会することが出来る人数は「50人」が上限と規制されていて、学年集会は出来ないらしい。少しは状況改善されているけど、何かにつけて面倒くさい。


(5月19日付け「学年だより№46」より①)・・・偶数クラスでは明日配布。

 5月1日にモミジの新緑の話を書いた。その後、塩釜桜の周りのアヤメと社務所前の白いフジが一気に咲いて美しかったが、そろそろ終わり。自然は立ち止まらない。
 学生時代に、1ヶ月半ばかりヨーロッパの美術館とコンサートホール巡りをして歩いたことがある。大好きだった絵も音楽も、2~3週間で食傷気味となり、1ヶ月を過ぎると「もういいや」という気分になって、心が反応しなくなってしまった。
 一方、自然は見飽きるということがない。移動の際の列車の窓から見える野山の風景は、どこまで行っても美しかった。おそらく、人間が作ったどんな偉大な芸術よりも、デリケートで変化が激しいのだろう、と思った。
 塩釜神社の境内を歩きながら、ふとそんなことを思い出す。


【「ゴミ箱」で考えてみたいこと】

 教室のゴミ箱は使用禁止である。鼻をかんだ紙や使用済みのマスクなど、感染リスクの高いものを放置したくない、処理する人が危険にさらされるのはまずい、という判断である。代わって、昇降口にゴミ箱が設置された。
 実は、2学年の会議で、登校日のゴミは全て持ち帰らせる、という話になった。それが2学年だけというのは変だ、やるなら全学年でと思ったので、また別な会議の場で、2学年の意見として提案した。
 そうしたところ、「そんなことをしたら学校周辺のゴミステーションなど、あちこちにゴミを捨てていく生徒が出て苦情が来る」という意見が出た。その後、多少の議論があり、最終的に今日のようなやり方に落ち着いた、ということである。
 こんな話を聞いて、諸君はどう思うであろうか?もちろん、問題は、塩高生の良識、社会的マナーについての信頼度だ。お勉強はともかく(笑)、日常の生活態度全般について、私自身は塩高生をけっこう高く評価しているのだが、他の先生方は違うのかな?ゴミについては例外なのかな?ごく一部の人だけの問題なのだろうが、少し考えてみて欲しい。