私たちの未来を奪うな

 タイトルがいささか紛らわしい。今日の通り魔事件に関する記事ではない。この後を読んでがっかりされると困るので、最初に断っておく。

 以前書いたとおり(→こちら)、その後も週に1度ずつ「学年だより」を書いている。いざやり始めてみると、手書きが昔以上につらく感じる、ということもない。学校で生徒指導上の問題が発生せず、けっこうのんびりと生活していることもあって、負担感を感じることもない。私は、担任団に「平居はこう言っているけど、俺はこう思うよ、みたいなことを自由に語ってもらっていいですからね」と言っているが、そのようなことを実際にしているかどうかは知らない。
 一方、私が書いていることについてどう考えるか、クラスで生徒にどう紹介するか、さらに、これを生徒を指導する上でどう利用するかについては、担任毎の温度差がある程度見えるようになってきた。そうそう、生徒や保護者向けの「学年だより」だからと言って、生徒や保護者が読むことだけに価値があるなどということは全然ないのだよ。もちろん、そんなことを私が観察していることに気づいている教員なんておそらくいない。
 さて、そのうち一般性を持つ記事でもあれば公開しよう、と言いつつ、1ヶ月ほどたってしまった。私が書いた本文そのものは、このブログの読者にとっては平々凡々なものであるが、中で言及している毎日新聞の記事が少し面白かったので、今日は紹介しておこう。

 

(5月28日付学年だより№7より)
 先週来、暑い日が続いている。日曜日、宮城も暑かったが、北海道の39℃は驚異!!まだ5月であることを思うと、なおのことびっくりだ。このような事態を見越して、塩釜高校は昨年度のうちから、今年度は冬休みを短縮して、夏休みを数日早く始めることを決めていたが、更に予想を上回る暑さに、夏服への移行も1週間前倒しで始まった。
 気温が高いからと言って、直ちに「温暖化だ!」というものでもないのだが、世界各地の自然環境の変化などをトータルに考えると、やはり温暖化の進行は否定できないだろう。温暖化は単に暑くなるというだけの話ではない。自然現象が過激化し、大規模災害(豪雨だけでなく山火事、砂漠化も)が多発し、食糧確保が困難になるというのがより深刻な問題だ。
 15年か20年前には、私が死んだ後の話だろうと思っていたが、最近は、自分が生きているうちにかなり危機的な状態になりそうだ、と思うようになっている。それでも、温暖化の影響をより激しく受けるのは、諸君のようにこれからの人生が長い若者だ。
 先週月曜日の毎日新聞第1面トップ(=その日の最重要記事、ということ)に、「私たちの未来が奪われる」と立ち上がったスウェーデンの若者に関する大きな記事が出た。温室効果ガス(大半は二酸化炭素)の削減が急務だと言いつつ何もしない大人に対して、批判行動を起こしたわけだ。この運動は世界中に拡大し、3月15日に一斉に行われた抗議運動に、例えばドイツは30万人、イタリアは50万人、フランスは20万人など150万人以上の若者が参加したという。一方、日本は230人。え!?これって何なの???〈仰天!!!〉
 温暖化対策の難しさは、それが経済活動と矛盾するからだ。二酸化炭素を大きく減らすためには、今の便利で快適な生活を手放す覚悟が(若者にも)必要だ。だが、強盗にピストルを突きつけられた人は、「何でもやるから命だけは助けてくれ!」と言うはずだ。
 私たちは、諸君は、今何をすべきだろうか?そもそも、これは温暖化だけの問題ではない。増えたと言えば、二酸化炭素だけではなく、国の借金も遂に1100兆円を超えた。これを返すのも、やはり主に諸君だ。今行われていることは全て、諸君の将来を拘束する。社会や政治を他人事だと思って、ぼやっとしているわけにはいかない。私は諸君のためにそう思うよ。

 

(裏面:上にある毎日新聞の記事=第1面と、第3面の一部=日本の若者に言及している部分を引用)
コメント1(第1面について):私は「学校ストライキ」(「ストライキ」って何か分かる?最近の日本では死語に近い)をけしかけているわけではない。くれぐれも誤解なきように。そもそも、ただ学校を休んだだけではただの「サボり」であって、「行動」にはならない。では、彼女の「学校ストライキ」は、「サボり」とどのように違っていて、なぜ多くの人の共感や共同を生んだのだろうか?ここは考えどころである。
コメント2(第3面について):(4月、日本国立環境研究所が温暖化をテーマにした高校・大学生対象のイベントに際し、若者が行動を起こすことについての意見を募ったところ、会場の参加者から「デモをする時間があれば、少しでも環境の勉強をして知識を身に付けるべきだ」などの声が上がった、と書かれている部分について)行動することを抜きにした「勉強」っていったい何なんだろうね。