アフガニスタン雑感

 何も書かずにいたが、アフガニスタン問題は、私も強い関心を持って眺めていた。「なぜ関心があるか?」と尋ねられても困る。アフガニスタンに限らず、世界ゆで起こる様々な問題は全て日本とも自分とも関係している、と思っているからだろう。
 私はアフガニスタンに行ったことがない。私より一つか二つ上の世代、例えば沢木耕太郎氏は、『深夜特急』の旅でアフガニスタンを通っている。しかし、私が世界をウロウロしていた1980年代は、既に入国できなくなっていた。
 パキスタンのペシャワルでは、カイバーホスピタルという病院に併設された医大の隣の閑散としたユースホステルに泊まっていた。名前の通り、カイバーホスピタルは、カイバー峠の登り口にある。そこより少し上手にゲートがあって、外国人はそこまでしか行けない、と言われていた。カイバー峠という、アレクサンダー大王も越えた歴史的な峠に登ってみたいという気持ちはあったが、政治的な事情によって果たせなかった、というわけだ。
 それから約1ヶ月後、イランのシラーズからマシェハドに飛行機で飛んだ。右手にアフガニスタンが見えることを知っていた私は、右側窓際の席を確保した。それらしき場所は見えたが、もちろん飛行機から国境が分かるわけではない。やがて、機内がざわつき、私は押しつぶされた。どうやらアフガニスタン難民が祖国を見ようと右の窓際に寄ってきたのだ。思えば、アフガニスタン難民は、ペシャワルにも、同じくパキスタンのクエッタにもたくさんいた。日本人と風貌がよく似ている上、穏やかで親しみが持てる。
 とまあ、こんな多少の経験があるので、行ったことが無いとは言っても、他の多くの日本人よりはアフガニスタンを身近に感じているということはあるかも知れない。
  それはともかく、私はあれこれ問題があったとしても、国はその国の人々によって管理されるべきだと考えている。外国はアフガニスタンに介入すべきではない。たとえ、日本やアメリカと違う価値観で動いていて、それが未熟に見えたとしても、その国の人々が少しずつ考え、自分たちにとって一番いい状態を作っていくしかない。だから、アメリカが撤兵したのも、元々派兵していたのがおかしいのであり、撤兵は妥当だと思っている。
 しかし、である。タリバンにしても、その他の武装勢力にしても、彼らが武器を持てるのは誰かの支援があるからであろう。一体それは誰なのか?
 大変気の毒なことに、アフガニスタンは地理的な事情から、古来、大国による勢力争いの舞台であり続けてきた。アフガニスタン人の国は、アフガニスタン人の自由にしてやればいいものを、自分たちの都合によって、ある時は大義名分を立て、ある時はこっそりと、資金や武器を与える人たちがいたからこそ、アフガニスタンは混乱が続いてきたのだ。
 中村哲氏は、「アフガニスタンの人たちだって誰も戦争をしたいとは思っていない。食えないから、雇ってくれる人の所へ行き、武器を手に持つのだ。みんなが食えるようになれば、戦争は起こらない」というようなことをよく言っていた。そして彼はアフガニスタン人と共に用水路作りに励んだ。
  孟子曰く「恒産なき者に恒心なし」。経済的に安定していない者は、安定した心を持つこともない。広くは世界で、狭くはアフガニスタンで、人が「恒産」を持てるようにすること。多分、それをおいて他に安定への道はない。「恒産」を手にするための基本は「農」である。やっぱり、正しいのは中村哲氏の現状認識であり、やり方である。
 アメリカだけでなく、自分たちの利益のためにアフガニスタン国内の武装勢力に何かしらの援助をしている人たちは全て手を引くのが一番いい。そうすれば、一時的に混乱が大きくなることはあるかも知れないが、必ずやアフガニスタン人は、自分たちにとって最もいいやり方、最もいい国のあり方を見つけだしていくだろう。どうしても何かをしないと気が済まないのであれば、中村氏のように井戸や用水路を掘ればいいのだ。