嗚呼、飛行機!!



 10日間ほど忙しくて、ブログの更新も出来ずに居た。今日までの4日間は、学期の途中ではあるが、使い残しの夏休みを使ってシンガポールに行っていた。シンガポール人の郷土史家(本業は小児科医。既に引退)で会ってみたい人がいて、思い立ったが吉日と、のこのこ出掛けて行ったのである。私らしくない、と言われるかも知れないが、インターネットで宿泊と航空券のセットを買った。なんだか大阪や名古屋に行くのと気分的にまったく変わらない。土曜日の昼過ぎに仙台空港を出て、成田で乗り換えると、その日のうちにシンガポールに着き、丸々2日を過ごして、今日、日付が変わって間もなくの便に乗ると、やはり成田乗り換えで、午前中のうちに仙台に着く。本当に「ちょっとそこまで」だ。

 もちろん私は、環境と資源管理の問題から、飛行機や自家用車を野放しにしていることを強く批判してきた。にもかかわらず、私が利用するかしないかに関係なく、実際に飛行機は飛んでいるわけだからと、飛行機でしか行けない場所については、やむを得ずとは言え、ただの趣味道楽のためにでも飛行機を利用してきた。しかし、利用者がいるから航空会社は飛行機を飛ばすのだから、結局、私自身も飛行機を支える人間の1人に含まれる。何もかも世の中に背を向けるような行動を取るのは、自分自身も苦しいし、かといってやはり悪いものは悪い。それらの心情は渾然となって葛藤している。

 そう言えば、今回出掛ける直前に、『日本のものづくりはMRJでよみがえる!』(杉山勝彦、SB新書、2015年)という本を読んでいて、今更ながらにショックを受けてしまった。MRJとは「Mitsubishi Regional Jet」(三菱航空機が開発した国産ジェット機)のことである。著者は航空会社にとっていかに燃料費の負担が大きいか、だから燃費のいい飛行機が求められるということ(←石油の消費はコストの問題でしかないのだな=怒)を述べるために、従来の大型機を引き合いに出す。それによれば、ボーイング747−400(ジャンボジェットの中では最新型だが、出来てからもう30年ほど経つ)で成田〜ロンドンを飛ぶと、消費される燃料はドラム缶830本で、燃費が大幅に改善されたボーイング777−300ERだと647本分である。著者はこれによって、燃費の改善が大きく進んでいるというのだが、それでも、ちょっと目を疑うような凄い量だ。飛行機にこれだけの燃料を積めること自体にも驚く。それらを輸送可能な乗客数で割ると、777でさえ、1人の人間が成田からロンドンに移動するのに、ドラム缶2本分の石油を消費することになる。

 航空会社が発表しているマイルによれば、成田〜シンガポールはロンドンの半分強である。今回私が利用したのは、往復とも最新のボーイング787であった。これは、炭素繊維をふんだんに使うことで、767に比べて20%の燃費改善を実現した飛行機だと言われている(777との比較は見つけられなかったが、767は777よりもかなり古いので、777と787の差はさほど大きくないのではないか?)。しかし、東京とシンガポールの間を利用する人には、裕福な金融関係会社の社員が多いからなのか、機内の半分以上が(!)限りなくファーストクラスに近い贅沢なビジネスクラスになっていて、機体が大きい割に乗客数は少ない。となると、私1人が移動しても、片道でドラム缶1本分くらい(以上?)の石油を消費することになる。日頃、自家用車の利用をできる限り抑制し、ペットボトルは基本的に禁止、レジ袋も禁止、冬場の室温は13度・・・などという生活をしていても、1回飛行機に乗ったら元の木阿弥だな、と痛感した。スーパーの広告を見ながら、肉や野菜で1円にこだわる生活をしていながら、喫茶店でコーヒー1杯に300円出すのは抵抗がない、というのと似た感覚だ。

 ライト兄弟の手によって、人類史上初の飛行機が空を飛んだのは1903年。それからわずか66年でジャンボジェット機が飛んだ。そのちょうど倍、112年後の今はB−787やA−380といった高性能機やウルトラ機が空を飛ぶ。地球や人類の歴史からすると、正に「一瞬」に過ぎない時間で、想像も付かないほどの変化を起こす。私はそこに、人類の「発展」を象徴的に見るような気がする。ある意味で感動的であり、エキサイティングだ。だが、それは、科学技術の負の側面に目をつぶった結果の「発展」である。メリットが大きければ大きいほど、反作用としてのデメリットは大きい。人間の本当の賢さが試されるのはこれからだ。