仙台空港の発展または温暖化と餓死



 今日は文化祭の代休。

 さて、昨日、全ての新聞で「COP21(国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議)」の準備会合が、論点を先送りしたまま閉幕したことが報じられた。ああ、やっぱり、相変わらず・・・の思いが強い。(→参考記事参考記事2

 それに先立ち、日本政府は、二酸化炭素排出量を抑えて温暖化の進行を緩和させるのではなく、温暖化は止められないことを前提として、被害を軽減させるための「適応計画案」なるものを発表した。ものすごく好意的に考えれば、温暖化を止めようと努力する一方で、絶対にゼロには出来ないのだから、適応の方法も考えるという現実策であると評価できるが、もちろん、経済至上主義、環境の最大の敵である軍はむしろアクティブな方向に動かそうという安倍政権が、真面目に二酸化炭素排出抑制など考えるわけがない。とうとう、温暖化阻止はあきらめて万歳した、ということだと私は見ている。これについては(あくまでもこの問題については)、間違いなく安倍首相は悪くない。国民の多数意思と一致するだろう。

 さらにさかのぼって10月19日、地元紙である河北新報第1面トップには、仙台空港民営化で優先交渉権を与えられた東急グループの提案内容が載った。大きな見出しで「LCC軸に路線拡充」とあり、主な提案内容として、以下のようなものが紹介されている。

・民営化4年後に、旅客数で90万人増(2014年度との比較)の410万人を目指す。

・民営化30年後には、旅客数550万人を目指す。

・そのために東北各地との間にシャトルバスを運行する。

・駐車場を立体化して460台分のスペースを増やす。

・貨物は2020年度に今の2倍の1万トン、30年後に2万5千トンとする。

などなど・・・・・。

 狂っている。飛行機がどれくらい膨大な石油を消費するかということは、最近書いたとおりである(→こちら)。一度目覚めさせた欲望を縮小させることがいかに難しいかも、誰にでも分かる(はずである・・・本当かな?)。現状で、人が不便に苦しんでいるとか、強いストレスを感じているならともかく、これ以上飛行機が飛ばなくても、おそらくほとんど誰も困らない。にもかかわらず、なぜわざわざこんなバカげたことをしようとするのだろう。本当は減らさなければダメ。たとえそれが難しくても、最低限、増やさないようにだけはしなければならない。しかし、恐れ入ったことに、上の目標でも私なんかは見ていて具合が悪くなるのに、実は、県が求めているのは民営化30年後に旅客数600万人なのだそうだ(!!!)。また、河北新報がこの記事を1面トップに置いたのは、見出しから想像するに、仙台空港の発展とともに明るい希望を読者に届けよう、ということらしい。安保法制ではなかなか立派な骨のある論陣を張った河北新報であるが、こと経済に関して言えば「同じ穴の狢(むじな)」というやつである。情けない。

 ことは温暖化だけの問題ではない。あまりにも当たり前だが、石油という有限の資源をどのように管理するかという問題である。私もいままで、温暖化との関係でばかり書いてきたが、実は、食糧確保との関係の方が深刻かも知れない。なぜアメリカから安い小麦やトウモロコシを大量に輸入できるかと言えば、アメリカでは大型農機を使って大規模に農業が経営されているからである。日本でじいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんの「三ちゃん農業」が成り立つのも、石油で動く農業機械の普及によっている。世界中で同様の状況がある。農業における生産性の向上は、ほとんど全て石油を燃やすことの上に成り立っている。だから、石油が枯渇に近付けば、農産物の品不足と価格の上昇が始まる。しかも、世界中で開発によって農耕地は減少し、人口は今世紀半ばに100億人を超える。行き着く先として、石油が枯渇すれば、数十億人が餓死するとさえ言われるのである。私は大げさとは思わない。

 このままの姿勢で生きていけば、自然は想定を超えて暴れるし(→参考記事)、食糧危機も迫ってくる。世の中で行われていることには危機感が微塵も感じられず、本当におめでたい。一昨日の夜から吹き始めた今年の「木枯らし第1号」の激しい風音を押しのけるようにして、「復興」巨大土木工事の重機の音が今日も聞こえてくる。