ツーリング学生の減少または海外旅行史



 (昨日の続き?)Nさんとは山で知り合った関係だし、Nさんも東北の山に登りたいというので、栗駒山に案内した。不運にも天候が悪く、何も見えないガスの中を須川栗駒山→秣岳と歩いただけで終わってしまった。

 夜、須川温泉の自炊部屋でいろいろな話をしていた時、Nさんがバイクツーリング用の地図を持っていたことから、ふと、若者の旅行の話になった。

 昨日書いた1983年の昆布漁の時、私が住むKさん宅の前を走る国道336号線は、自転車でツーリングをする学生がひっきりなしに通っていた。前年まで某雑誌に連載されていた荘司としおの『サイクル野郎』なるマンガの影響も大きかったかも知れないが、やはり若者の好奇心とチャレンジ精神が強かったためだろうと思う。バイクもいたが、少数派だった。ところが、かつて勤務していた石高や一高の卒業生でも、そんな旅行をした話は聞いたことがほとんどなかったので、最近の事情はどうなのか、ということをNさんに尋ねてみた。Nさんは、最近はバイクが主流で、しかも数は本当に少なくなった、と言う。さもありなん。しかし、では学生は代りに何を始めたのだろう、というところで、二人とも分からなくなってしまった。

 フィールドを海外に移したわけでもないようだ。いや、仮に海外に出る若者が少し増えたとしても、それは当時のツーリング学生(サイクル野郎)が、その旅行スタイルで海外にフィールドを移したというものではないだろう。

 いささか脱線。

 かつて、「HIS」という会社の変質について書いたことがある(→こちらこちら)。同様に、『地球の歩き方』というガイドブックの変質も、今時の若者の変化をよく表しているように思う。

 若者が旅行をする時には、どうやって安くあげるかということが重大問題だった(たとえお金がなくても、見たいものは見たい、という意欲の強さの表れ)。HISも『地球の歩き方』も、もともとはそんな若者がターゲットだった。現に、表紙には「インドとネパールを1日1500円以内でホテルなどの予約なしで鉄道とバスを使って旅する人のための入門書」(インド・ネパール、82〜83年版)、「太陽とグルメの島台湾を1日、2500円以内で屋台をのぞきながら旅するための、役立ちガイド」(台湾、87〜88年版)、「ヨーロッパを1ヶ月以上の期間1日4800円以内でホテルなどの予約なしで鉄道を使って旅する人のための徹底ガイド」(ヨーロッパ、89〜90年版)等々の文言が書かれていたのである。「〜円以内で」というところだけでなく、「屋台」も「1ヶ月以上の期間」というところも重要な点である。「鉄道とバスで」「鉄道を使って」と断っているのは、飛行機やレンタカーではなく、というやはり重要な意味を持つ。

 ところが、やがてそのような現実的な文言はなくなり、おしゃれでキザで軽薄なコピーばかりが並ぶようになり、そして2003年に行われた装丁等のモデルチェンジとともに、それすらも消えた。もちろん、安宿の紹介が年々少なくなり、中高級ホテルがスペースを取るようになった。代わりに、他の新しい貧乏旅行者向けガイドブックが出たということもない。

 (注:我が家にあった『地球の歩き方』から適当に文言を選んだが、日本人の海外旅行史において、1985年9月のプラザ合意円高ドル安の原点を分岐点にする考え方は強いので、上の例で言えば、インドと台湾・ヨーロッパの間には海外旅行史上の断層がある。また、他の多くの地域編で既に上限金額指定が姿を消していた97〜98年版でも、インド編には同じ1500円云々の文言があった。これが、目的地をインドにするくらいの人は・・・という発想に立っているとしたら面白い。ちなみに成田空港の開港は1978年5月である。)

 更に言えば、『地球の歩き方』が登場する前から、『オデッセイ』という雑誌が出版されていた。これを知っている人は多くないだろう。ごく限られた書店でだけ扱われていた。編集・発行はグループ・オデッセイ。私が持っている最も古いものは、1978年12月発行Vol13、巻末史料はヨルダン、というものである。「隔月刊」と書いてあるので、逆算すると1976年12月創刊ということになるが、果たして実際が計算と合うかどうかは分からない。手書きの原稿を印刷して製本した60ページあまりの素朴な雑誌で、定価は350円とある。私の持っている最後の巻は1983年6月発行Vol29、特集「アジア西ひがし」巻末史料はブラジル、ごく一部以外活字組、100ページで定価600円というものである。いかにも順調に規模拡大をしているようだが、もちろん今はないし、いつまで発行されていたかが調べても分からない。

(後日の注:上のように書いたところ、次のようなサイトを見つけた。『オデッセイ』についてのいろいろな疑問が解けてすっきりした。→こちら

 この雑誌を手に取ると、それまでは手を出せなかった海外というフィールドに胸ときめかせ、なんとかして情報をかき集め、便利や快適を犠牲にしてでも安上がりな方法を考えながら、真剣に旅していた若者の知的情熱を感じ、胸を打たれる。

旅行を安くあげるかどうかは、単にお金がないからというだけでもない。私の経験から思うに、旅行にかけるお金が変化すると、見える世界も変わる。1日5000円でも20000円でも、ヨーロッパに行けば同じヨーロッパが見えるというものではない。年を取ると精神的にも体力的にも貧乏旅行はなかなか出来ない。だとすれば、若者は国内外を問わず、金のかからない旅行をすべきなのである。

 さて、話を元に戻し、何が言いたいかというと、私は近頃の旅行の変質というテーマについて一度書いてみたいと思っていたので、便乗で脱線が過ぎただけなのだが、もともと若者の旅行が高級化・贅沢化しているというだけでもケシカランのに、まして家を出ること自体をしなくなったとすれば、これは由々しき問題だ、ということである。旅行をすること自体にどれほどの価値があるのか分からない。しかし、旅行の背景にある、何かに挑戦したい、自分の知らない世界を見てみたいという衝動は、間違いなく価値を持つ。知的探究心の根源とも言うべきものである。北海道からツーリング学生が激減したという話は、とても寂しい。代わりに何かを見つけ、始めていてくれればいいのだけれど、バイト、就職活動とレポートの心配ばかりしているようでは困るのである。