備蓄石油の放出など

 石油の値段がじりじりと上がっているという話は、もうこの2ヶ月くらい頻繁に耳にする。ついに政府は、備蓄石油の放出を決めたらしい。
 何かが決まるたびに、ああ、なぜこうも間違ったことばかりが行われるのだろうと、ため息をつく。そう言えば、つい先日はコロナ対策では55兆円だ・・・。
 石油は使えばそれでおしまい。増加に転じることは絶対にない。しかも、ほぼ全てが海外依存だ。値段は上がり続けて当然。いくら変化の速さが問題なのだ、と言ってみても、しょせんはガソリンが170円にも達していないのである。これで大騒ぎになるとすれば、そのような社会構造そのものを問い直すべきであって、そんな声が一切出ないまま、「高い、高い」とぼやいていてはいけないのである。
 現実的対応ということを考えた場合、石油価格の高騰を制御することはある程度必要だ。しかし、その場合、「石油」を用途や性質に関係なく、ひとまとめに考えてはいけない。世の中には、人間が生きていくためにどうしても必要なことと、どうでもいい、いわば贅沢な部分とがあるので、前者に関わる石油は出来るだけ不足の生じないようにし、後者についてはむしろ値段を上げた方がいいくらいなのである。
 たとえば、農業に必要な石油は前者の代表格である。いまや大型作業用機械なしには米作りも行えない。だが、イチゴやメロンのハウス栽培に石油を使うのはナシだろう。食料品を始めとする生活必需品を輸送するトラックは必要だ。しかし、基本的に自家用車は地球温暖化との関係で考えても許されるものではない。
 とは言え、生活必需品がどこまでを意味するかは悩ましい。米や野菜は基本的に全て生活必需品だろうが、本や新聞はどうなのだろう?休日のドライブや、子どもの送迎に自家用車を使うのは論外として、家族に病人や老人がいた場合、彼らの通院や介護に自家用車を使うのはやむを得ない。
 こう考えると、要不要のランク付けをすることはなかなかに難しい。しかし、政治家や高級官僚はこのような政治的難問を処理するために高い禄を食んでいるのであって、国民が欲望に任せてやりたい放題出来るようにするためにいるのではない。
 ともかく、備蓄石油を放出するにしても、石油に課している税金を安くするにしても、補助金を出すにしても、現在の社会構造の中で本当にやむを得ない必要最低限の部分にだけ恩恵が行くように考えることが必要だ。その上で、石油は高くなり続けること、最終的には石油なしで社会が成り立たなければ「持続可能」とは言えないことを、将来的な落着点として常に念頭に置きながら、策を講じていかなければならない。何もかもが、あまりにも場当たり的に過ぎる。