日曜日、石巻市内のカンケイマルラボで開かれていた中村智美さんの個展に行き、直径25センチのフライパンを買ってしまった。「~てしまった」と書いたのは、それなりにいい値段で、私としては勇気のいる買い物だったからである。
ラボからは、誰かの個展を開くたびに案内の葉書をもらう。しかし、私が実際に何かを買うことは稀だ。冷やかしでばかり行くのはなんとなく気が引けて、最近は足が遠のいていた。案内葉書は、その作家の作品の写真を使った絵はがきになっているのだが、今回は黒々とした鉄製の調理器具が何個か写った写真で、「鉄」ファンである私はひどく心をくすぐられ、久しぶりで行ってみようかと思ったのである。中村智美さんとは、群馬県で鉄とステンレスで、調理器具や食器を作っている作家らしい。
「鉄」というのは、非常に魅力的な物質である。そんな思いを抱くようになったのがいつからかは定かでないが、心当たりは二つある。
ひとつは蒸気機関車の足回りだ。もちろん、蒸気機関車は全体がほとんど鉄だけで出来ているのだが、鉄の質感を最も感じさせてくれて、しかも美しいのは足回り、すなわち動輪とロッドの部分である。ボイラー部分と違って、油でてかっているのもいいのだろう。いくら見ていても飽きないほどだ。
もうひとつは、西岡常一『木に学べ』(小学館)で、和釘とそれに使われている奈良時代の鉄の話を読み、更に白鷹幸伯『鉄、千年の命』(草思社)を読んで、「鉄」と一口に言っても、なかなか奥の深い物質であることを知ったことである。
以来、鉄はかなり注意深く観察するようになった。
さて、中村さんのフライパンである。これは見た目にも非常に美しい。真っ黒な鉄で、カンカン叩いて形を整えたらしく、表面はかなりでこぼこだ。それがかえって味わいのある美しさを出している。蒸気機関車の足回りを見ている時と同じ感覚だ。買ってからまだ5日。この間には卵焼きしか焼いていないのだけれど、しょっちゅう手に取っては見入っている。買ったばかりなのに使い込んであるような趣がある。
我が家には28センチのパデルノ(イタリアの会社)のステンレス製のものと、同じ大きさの安物のテフロン加工品、それに20センチのル・クルーゼ(フランスの会社)の鋳鉄製のフライパンがある。パデルノのフライパンは、一生使えるものだからと、少し奮発して買ったものだが、いかんせん重すぎる(2㎏!)。今はまだいいが、10年後にも使えている自信がない。ル・クルーゼは素晴らしい質の鉄で、使っていて気持ちがいいが、小さく浅すぎて用途が限られる。
今、今回買ったフライパンの使い方を考えているところなのだが、安物のテフロン加工が剥げてきた時、或いは、やがて子どもたちがいなくなり、夫婦2人だけの静かな暮らしになった時に、この25センチというサイズのフライパンは大活躍するのではないだろうか・・・。そんなことを思いながら、また見入る。