北海道の鉄道(2)

 北海道を旅行していると、保存蒸気機関車や鉄道遺構、あるいはただの「名残」としか言い様のない物まで、おびただしい(正におびただしい!)数の鉄道関連遺物を目にする。
 網走から能取(のとろ)湖、サロマ湖方面に行くと、勇網線の廃線跡がサイクリングロードになっていた。計呂地(けろち)駅の跡には、蒸気機関車と旧型客車が保存されていた。斜里や遠軽の公園には蒸気機関車があり、遠軽除雪車もあったが、どこだったか記憶がはっきりしないものも含めて、とにかくあちらこちらに蒸気機関車が展示されている。駅や橋梁、線路の一部を意図的に保存している所も多い。
 今回訪ねた中での極めつけは北海道ちほく高原鉄道(旧国鉄池北線)陸別駅と、丸瀬布(まるせっぷ)森林鉄道である。
 陸別駅は、駅舎こそ大きな道の駅に建て替えられてなくなっているものの、ホームや跨線橋はそのまま保存され、構内には車両も多く止まっている。しかも、それらは動態保存で、「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」として、北に向かって5.7㎞(=私の地元・仙石線で言えば石巻から4駅目の陸前赤井までとほぼ同じ!)も保存されている線路を走ることができる。更に、それは元運転士によってではなく、一般の人の運転体験という形で行われるらしい(運転距離に応じて料金2000円~60000円)。
 丸瀬布森林鉄道は、石北本線丸瀬布駅から約10㎞離れた「森林公園いこいの森」に保存されている。もともとは、丸瀬布駅からこの公園を経て更に奥まで伸びていた森林鉄道だったが、今は観光用に一周2㎞の線路を敷き、当時の蒸気機関車「雨宮21号」を走らせている。線路はいわば偽物でも、機関車は本物で、しかも、SLの動態保存と言えばC11やD51といった大型機が多い中、いかにも古めかしい、大きな煙突と小さな動輪(直径が61㎝しかない)の機関車はユニークだ。土日祝日と夏休み期間だけらしいが、釜に火をたき、小さな客車とトロッコを引いて園内を走っている。
 これらのような鉄道関係遺物の保存には、二つの意味があるだろう。一つは、鉄道そのものに対する愛着であり、もう一つは観光対策だ。
 例えば我が家にある1970年の時刻表を開いてみる。北海道の地図は感動的だ。昔、北海道にはこれほど多くの鉄道路線があったのだな。逆に言えば、この50年でこれほど多くの線が廃止になったのかと驚く。今の時刻表の地図と比べてみると、違いはあまりにも大きい。
 現在、自然災害などで鉄道が被害を受けると、多くは復旧か廃止かという議論になる。JR北海道などは、鉄道事業の赤字が大きく、副業に頼ってかろうじて会社と路線を維持している。みんなが車に頼る生活をして、鉄道を利用しないのだから、そのような状況が発生するのは当たり前のことであり、みんなの責任である。だが、車に頼って鉄道を利用しないことが、鉄道を不要と思っていることは意味しない。なぜなら、これだけ利用者が少なくても、廃止論議が起こればかならず多くの強い反対意見が出て、しかもそれはバスへの置き換えを是としない。鉄道を利用しない人も、鉄道はあって欲しいのである。私は、鉄道が交通手段として必要とされているのではないと思う。存在そのものに価値があるのだ。なぜならば、鉄道という重厚なインフラは、容易に敷設も撤去もできないことによって、強固な結びつきの安心感を与えてくれるからだ。
 昔の時刻表を見ると、全国各地を多種多様な列車が走っていて楽しい。今は本当につまらない。急行列車も夜行列車も走っていない。特に新幹線が通っている場所は無残だ。新幹線駅とそれ以外とを結ぶ連絡用の普通列車だけしかない。それでも、なぜか鉄道はブームである。鉄道関係の本はよく売れ、ホテルが、鉄道がよく見える部屋があることを売りにすることも珍しくない。自分は車で旅行しながら、鉄道を見ればカメラを向けるという人も珍しくない。観光資源としての鉄道は重要だ。何年か前、夕張線(新夕張~夕張)が廃止になる時、それに反対する当時の市長が、「バスでは観光客が呼べない」と語っていたことは印象的だ。
 これらの結果としての保存機関車であり、駅舎であり、線路である。時に一箇所くらい見てみるのはいいけれども、やはり、命のない物を見続けるのは面白くない。公共交通手段として機能していてこその鉄道である。人が利用しない限り、今後も鉄道路線の廃止は続くだろうが、それを避けるためには「車=便利で安い」と「鉄道=不便で高い」を、政策的に「車=便利だが高い」と「鉄道=不便だが安い」に変えていくことがどうしても必要だ。(→参考記事=レンタカーマジック