蒸気機関車と機械工学・・・ラボ第18回

 久しぶりで我が家の庭にキツネが姿を見せた。貧相にやせ細り、尻尾なんかは何者かにかじられたようだ。明けても暮れても狂ったように続いている「復興祈念公園」工事で、いよいよ追い詰められているのでなければいいのだけれど・・・。
 さて、昨夜は「ラボ・トーク・セッション」第18回であった(→前回の記事)。強風・土砂降りが予想されていた。お料理は注文してあるし、開催できなくなったらどうしよう、とやきもきしていたが、意外に荒れず、長靴を履いていったのがなんだか場違いで、間抜けに感じられるほどであった。
 今回の講師は、石巻専修大学理工学部機械工学科教授・亀谷裕敬(かめやひろたか)氏、演題は「機械工学をつくった蒸気機関 蒸気機関がつくった機械工学」。長く日立製作所機械研究所でコンプレッサーの研究に携わってこられた方で、大学に移ってからは9年目。先生ご自身がもともと蒸気機関車大好きで、大学卒業後、本当は蒸気機関車、それがダメでも機関車の開発・製造に携わりたかったが、そういう口がなかったので日立に入ったという。大学では、授業で蒸気機関車の製作をしておられるらしい(今年の大学祭でついに走るそうです。乞うご期待)。
 チラシに、先生が蒸気機関車の前に立つ写真を使ったことなどもあって、参加者には鉄分の多い人が多かったようだ。会が始まる前、先生がスクリーンに映しっぱなしにしていた蒸気機関車の動画(震災の翌年、石巻駅にC11が来た時のもの)を呼び水に、早く来た人たちによる鉄道談義が始まり、会は異様に盛り上がっていった。
 期待に応えて、お話は蒸気機関車開発の歴史。それが機械工学のどのような分野を生み出したかという形で、演題どおりの筋書きである。
 ジョージ・スティーブンスンが初めて実用的な蒸気機関車・ロケット号を作った時、その後の蒸気機関車でも採用される6つの画期的な技術、すなわち、ゲージ、車輪の形状(レールに接する部分が斜め)、ダブルクランク機構、煙管ボイラ、排蒸気による通風、水平シリンダーが生み出された。しかも、火床面積、煙管の長さ、伝熱面積、シリンダー径×行程、ボイラの大きさ、動輪直径、重量、重心位置といったもののバランスが絶妙で、それ故に、後の蒸気機関車の始祖となり得た。同時に、それらの開発によって、機構学、伝熱工学、流体力学、振動工学、機械力学、設計工学、制御工学といった様々な学問分野が生み出された。そして、いわば「無学」のスティーブンスンは、イギリス機械学会の初代会長となる。
 スティーブンスンという人は、時代のせいもあって大学へは行っておらず、炭鉱の機械を扱いながら、機械というものの仕組みを学んだらしい。彼は他の機械を扱う経験によって蒸気機関車を作り出したのである。天才と言えば、確かに天才だ。しかし、理論がなければ物が作り出せないと言うのは、現代人の傲慢であろう。デジタル機器と違って、蒸気機関のような手作業で作り出せる物については、素材や機械の語る声に耳を傾けることで実現することに不思議はないような気がする。
 お話が非常に整理されていたこともあって、蒸気機関車に凝らされた工夫の数々がよく分かった。案外自分も蒸気機関車の仕組みというのは分かっているようで分かっていなかったのだな、と思わされた。65分間、実に楽しくお話を聞くことができた。鉄分の多い参会者も、大いに満足したようだった。
 散会後、帰宅する道すがら、ふと「ラボ」って何だろう?と考え始めた。いや、「ラボ」は今後どちらへ向かっていくのだろうか?という方が正しいかも知れない。
 「ラボ」はおそらく、それなりの研究者に、ご自身の研究のコアな部分を語ってもらう、それを呼び水に参会者同士で学際的な議論をする、というのが出発点であった。ヨーロッパにおける「サロン」のイメージである。
 ところが、最初は20分で依頼し、最近は1時間で依頼しているのだが、高度な研究のコアな部分を語ろうと思えば、その前提として知っておかなければならない部分を語るだけでも時間がかかり、なかなか核心にたどり着けないということになる。その結果と言うべきか、講師が専門分野の概説をするということになりがちだ。しかし、それなりの知的水準にはあるが、門外漢である参会者にとって、それは決して悪いことではない。当初の想定と違ってはいても、動いているうちに、物事は落ち着くべき所へ落ち着いていく。そういうことなのかも知れない。