斎藤佑樹の引退会見を見ながら・・・

 日の暮れるのが早い。5時にはかなり暗くなっている。週末は基本的に家にいるわけだが、何度も書いたとおり、我が家からは「石巻南浜津波復興祈念公園」という広大な緑地公園が眼下に見える。その中心にあるのは「みやぎ東日本大震災津波伝承館」だ。津波に関する様々な記録が展示されており、語り部の話を聞くスペースもある。震災に関するバカげた土木工事の結果であり、他愛もない「教訓」を大げさに伝えるための施設で、私は甚だ冷たいのであるが、それはともかく、開館時間は9:00~17:00。今の季節は、当然のこと、照明がつく。
 屋根が斜めに傾いた円盤状の建物で、周りはすべてガラス張り。この建物に灯りがともると実に美しい。何とも柔らかな少し白っぽい黄色の灯りである。それが、ほとんど灯火のない真っ暗な公園の中に浮かぶように見える。「伝承」よりも、夜景の美的価値の方がよほど大きい、とさえ思う。閉館後20分くらいで電気が消えてしまうので、私が夜の伝承館を見られるのは休日だけだ。残念である。エネルギー消費の問題が無ければ、本当は夜通し灯りがついているといいのに、と思うほどだ。
 話は変わる。
 昨日、日本ハムファイターズの投手・斎藤佑樹が引退した。まだ33歳だという。この「まだ」には異論を持つ方もおられるだろう。確かに、「まだいたのか?」と使った方がしっくりくるようにも思う。ドラ1で入団し、11年間でわずか15勝となれば、それも当然の話。栗山監督の温情と、球団運営上の問題から、今まで戦力外通告を受けることなくやってこられたというのが正直なところだろう。7~8年前に一度、利府の楽天2軍球場で見たことがあるが、先発で斎藤佑樹登場と盛り上がったのも束の間、実に景気よくパカパカと打ち込まれていた。隣に座っていた知らないおじさんが、「ダメだこりゃぁ」と言っていた、その言い方が面白くてなおのこと印象に残っている。
 さて、今日は、斎藤佑樹論を書くことが目的ではない。33歳で引退するということが、妙に私の心の琴線に触れたから、何かを書いておこうと思っただけである。このことには、私もあと1年半で定年になるということが関係しているだろう。
 定年まで1年半というところで、なんとなく感じるのは、その時「ご苦労様でした、少しゆっくりして下さい」ではなく、「お前なんかもう要らないよ」と言われているような気になるだろうということだ。
 私の場合、「再任用」という制度によって、給料は減額されるが、更に最大で5年間今とまったく同様に勤務を続けることが可能である。それでも、そんな風に感じることだろうことが今のうちから容易に想像できる。
 まして、斎藤佑樹はこれこそ本当に「まだ」33歳。これまで野球だけしかない人生だっただろうに、残りの長い人生、いったい何をするのだろう?彼くらいのネームバリューがあれば、球団職員の道もあるのかも知れないが、例えば、打撃投手だったら、彼はそれを受け入れるだろうか?それでプライドが許さないとすれば、何ならやるだろう?(タレントかな?)
 その時その時、モチベーションを維持していくのは誰にとっても難しい。人間は誰しも自分を無価値とは思いたくないし、一方で、「どうしてもあなたが必要です」などと言ってもらえる人はほとんどいない。「お前でもいいよ」と言ってもらえれば御の字だろう。斎藤佑樹の引退会見をテレビで見ながら、なんとなく自分と重ね合わせながら、身の振り方をまじめに考えてねばと思っている自分がいた。