謹賀新年 2022年元旦

 お元気で、よい新年をお迎えのことと存じます。
 おかげさまで、我が家も一同元気に過ごしております。
 持ち上がりの3学年主任として、「さあ集大成の年!」とは思ったものの、自分の子でも思い通りには育たないのに、他人の子が思い通りに育つわけはありません。それでも、350名の生徒たちと、まずまず楽しく過ごせたからいいか・・・という感じ。
 激変を続ける社会の中で、相変わらず私は、人々の「楽」や「便利」に対する脳天気な信頼に驚きます。目の前のメリットに飛びつくと、長い時間の先にもっと大きなダメージが待っている、というのが、産業革命後250年の教訓です。「時代」に流されず、人間の「原点」や「本来」を大切にする生き方をしたいと思います。
 ところで、びっくり仰天!今年はなんと年男です。48歳?・・・だといいのですが、来春には「定年」が現実。居残る道はあるものの、とりあえず今のところ元気・健康であることを幸いと、様々な可能性を探して、夏くらいまでは就職活動をしようとも思っています。何か面白い仕事があればご紹介下さい。
 本年もよろしくお願いします。よい年になりますように。


(以上が年賀状の文面。例によって、一言、二言、自筆で書き足し、自著して出した。ただし、書きながら文面を変えたくなるので、最初に全部印刷したりはしていない。特に、最初の50枚くらいは、上と「ところで」以下がけっこう違う。あしからず。)


 新年は花火で明けた。今日の0:00、我が家の庭=石巻南浜津波復興祈念公園で「いしのまき 希望の花火」なるイベントがあったのである。
 もう20年ほども前、北上川の河口で1月1日の0:00に花火を打ち上げるというイベントがあって以来の冬の花火だ。正月はたいてい実家で迎えることになっている私が、なぜその時、石巻の家にいたのかは思い出せない。私が石巻にいない年に、花火の打ち上げがあったかどうかも定かでない。
 ともかく、その20年ほど前に、空気が澄んでいる冬の花火がいかに美しいかということに驚いたことはよく憶えている。というわけで、しょうもない「被災地イベント」だ、と思いつつ、花火そのものは楽しみにしていた。
 12月25日の「石巻かほく」紙第一面に、この花火についての大きな広告が載った。実行委員会によるもので、石巻市を始め、石巻の街作りに携わる官民多くの団体が、共催者としてずらりと名を連ねている。You Tube による動画配信もするし、復興祈念公園とその周辺の駐車場を開放するとも書いてある。ネットで調べれば、約20分間で710発を打ち上げるという。
 こうなると、多くの人たちが車で集まってくるのだろうな、と、少し重い気持ちになった。資源の消費の仕方として間違っている。実際、我が家から見ていると、2時間くらい前から、車が集まり始めた。寒波到来で冷え込みは厳しい。雪も舞っている。おそらく、ほとんど全ての車が、花火が終わるまで、暖房のためにアイドリングを続けるのだろう。南側のカーテンを閉めて、そんな光景は見ないことにした。
 30分くらい前から、和太鼓の音が聞こえ始めた。西側の窓の障子を開けて花火を待つ。0:00ちょうどに打ち上げが始まった。予想通り、我が家の西窓からは、正面に花火が窓いっぱいに見える。最高の席だ。日中より風が落ちて、煙が少し滞りがちだが、途中ほとんど間を置くことなく、花火は打ち上げられた。日本製紙の工場の灯りが邪魔で、背景が真っ黒にならず、その点で20年前のような鮮やかな美しさは感じなかったが、まずまずいい花火を見られた。20分弱という時間も適当だった。
 花火を見て「希望」が持てたとは思わないが(←例によってひねくれている)、単純に楽しかった。朝起きたら、5㎝あまりも雪が積もっていた。旅行の疲れもあり、初日の出は見逃してしまった。