6年目の風景

 馬っ子山から帰ってきて、午後からは、高みの見物である。何しろ、指折りの被災地、国立南浜復興祈念公園予定地が我が家からは一望できる。3月11日に、そこに集まる人々をぼんやり眺めているのは、なんとなく世相というものを観察しているようで興味深い。今年はなにしろ土曜日なので、例年にも増して続々と人が集まってきた。14:46を迎える頃には、茨城県から来たらしい大型観光バス2台を始め、臨時に開かれた仮説駐車場と思しき広場から車があふれる状態。その割に人影が少ないのは、我が家から災害公営住宅の陰になって見えない「がんばろう石巻」看板へと向かったからであろう。黙祷のサイレンは案外短かった。ほとぼりが冷めた頃に階段をトコトコ下っていくと、某放送局の中継車が後片付けをしていた。ものすごい量の機材だ。この人たちって、何を伝えるためにこんな大量の装備を携え、今日ここに来たのだろう?そんな疑問が頭をよぎる。私には答えが想像できない。18:30には花火である。わずか十数発だったが、夏の花火大会と同じ大きさの立派な花火だ。冬の澄んだ空気の中で見る花火は美しかったが、やはり何を目的として「花火」なのか、私には見当も付かない。相変わらず、全てが私にはただの「社会現象」に見える(→参考記事)。
 そうそう、先月24日に、久しぶりで河北新報(「時論持論」)に投書をした。東日本大震災の教訓とは何かについて、日頃このブログに書いたり、どこかの新聞社に語ったりしたようなことを補足しながらまとめたものである。
 表現は少しトゲがあるかなぁ?これを読んだら、怒り出す人いるだろうなぁ?新聞の日頃の論調にも逆らっているなぁ。だけどやっぱり本当のことで、表現が不穏当であれば、新聞社の方で手直しを要求(提案)出来るわけだし、6割くらいの確率で載せてくれるのではないか?と思いつつ送った。
 載せてもらえるにしてももらえないにしても、本当はここで紹介できるとよかったのだが、4月上旬に掲載します、という連絡をいただいたので、1ヶ月ほど保留する。トゲのある(?)部分も含めて、ほぼ私が書いた通りの状態で載せてくれるらしい。お楽しみに。


補)「仮説駐車場」には誤字が含まれますが、コメントを生かすためにあえてそのままにします。