年末の奈良・和歌山(まだ前書き)

 私が行ったことのない場所で、家族と行ってもいいかなと思っていた場所は2箇所あった。ひとつは島根県出雲大社松江城)、もうひとつは和歌山県高野山熊野大社)であった。さほど説明もせず、家族に言ったら、和歌山がいいという話になった。冬の日本海側は天候が不安だ、ということだった。
 昨年の10月頃、私の所属する2学年が修学旅行に行けるか行けないか、という話をしていた時、当初計画していた京都、大阪の理解が得られないことははっきりしていた。そこで、コロナウイルスの感染者が少ない場所で、なおかつ、歴史や自然の風景で見どころの多い場所を探したところ、三重、奈良、和歌山が浮上した。和歌山や奈良なんて、大阪都心からの時間距離が仙台~石巻よりも近いほどで、明らかに通勤・通学圏内と思われたが、10万人あたりの感染者数で見ても、大阪が全国有数の感染者数を記録し続ける中で、不思議と全国的に見ても最低水準で安定していた。最終的に、行き先を三重、奈良とし、泊数を1日減らして予定を組み替え、予約まで入れたものの、現地での感染もともかく、宮城で感染して現地で発症した生徒が出たら、などなどの心配が多くの教員から出され、キャンセル料が跳ね上がる直前のタイミングで、あえなく完全中止となってしまった。
 その時、私は、奈良、三重については比較的よく知っているつもりだからいいとして、和歌山県については和歌山市和歌山城、和歌山東照宮、和歌ノ浦、紀三井寺)にしか行ったことがなかったので、わずか1ヶ月間ではあったが、かなり真面目に下調べをした。そして、非常に魅力的な場所であることを、今更ながらに思い知った。その時以来、一度自分で訪ねてみたいと思っていたのである。
 ただし、2016年末に、家族で京都・奈良を訪ねた時、奈良は修学旅行の定番のような所にしか子どもを連れて行けなかった(→その時の記事)、しかも、法隆寺には行っていない、ということで、最初に少しだけ奈良に立ち寄ることにした。
 家族には予習を課した。なにしろ、人は誰かが教えてくれなければ、目の前に何があろうと見えないものなのである。とりあえず、撮りためてあった映像作品から、「ブラタモリ」の法隆寺高野山、熊野、そして「歴史秘話ヒストリア」の法隆寺、「国宝へようこそ」の法隆寺を見る。幸い、直前に「ブラタモリ」は白浜も放映された(1月15日には和歌山らしいが、これは間に合わず)。更に西岡常一『木に学べ』(小学館)、小川三夫『宮大工と歩く奈良の古寺』(文春新書)、豊田美香『海難1890』(小学館文庫)を読むこと。できれば、松長有慶『高野山』(岩波新書)、玉井哲雄『図説 日本建築の歴史』(河出書房新社 ふくろうの本)も読んでおいた方がいい、とした。南紀や熊野に関しては、探せばいい本がたくさんあるのだろうとは思ったが、私自身がそのような本に出会えていない、否、出会うほど読んでいなかった。
 ここで嘆くべきはガイドブックの質である。本当は、上のような七面倒くさい本を読むよりも、しかるべき場所についてしかるべき解説をしたいいガイドブックがあればいいのである。ところが、ガイドブックはことごとくチャラチャラした広告集のようなものばかりで、歴史や自然・文化的背景などについて踏み込んだ解説を施したものは皆無なのである。
 コロナについては、感染状況が「底」にあった(特に石巻では、もう3ヶ月近く1人も感染者が出ていない)とは言え、またいつぶり返すか分からず、その場合、年末年始の人の移動が引き金になりかねないことは指摘されていた。私も、感染の増加が医療施設等に与える負担を考えると、「俺はべつにかかってもいいんだ」と開き直っているわけにはいかないということ重々承知なのだが、一方で、感染症対策の弊害は時間が経つほど大きくなる、新型コロナウイルス程度の感染力、重症化率や死亡率であれば、感染症対策を絶対的最優先事項として他のことが見えなくなるのは非常に危険、むしろ、予防(対策)はもっと抑制的であるべきだと、早い時期から言い続けてきた。そんな私にとって、この旅行は「白」である。もちろん、勤務先には「私事旅行届け」なるものを提出し、正規の手続きを経て実施した。