「楽」や「便利」と引き替えに

(1月11日「学年主任だより№31」より①)

*ブログの読者の方には、1月4日の記事と内容が重なっていてごめんなさい。

 

 卒業を迎える諸君にとって特に重要な意味を持つ新しい年が始まった。冬休み中、事故の連絡等は受けていないので、充実した楽しい冬休みを過ごせたものと思う。


 (左側に今年の私の年賀状(→文面はこちら)を貼り付け。一筆書き込みスペースには、「新しいフィールドで『一流』を目指して下さい。期待しています」と書き込み、最後に自署。)


 私は年末、ちょっとした事情で和歌山県に行った。途中、子どもにこれだけは見せておきたいと思ったので、法隆寺に寄り道をした。言わずと知れた世界最古の木造建築(築後約1400年)である。私が古典に関してよく言う「いいものしか古くなれない」「この作品はなぜ古典になれたのか考えよ」は、建築についても同じことだ。
 法隆寺は、樹齢1000~2000年の檜の木で作られている。一説によれば、檜は切られた瞬間に第2の命が始まり、適切に加工し、組み合わせさえすれば、少なくとも切られるまでと同じだけの時間生き続けるらしい。奈良時代の大工さんは、木の命を生かしきることができる、極めて優秀な腕を持っていたということだ。
 私が心の底からすごいと思うのは、人間がそんな知恵(建築技術だけではなく、樹種による性質の違いなども)を獲得するためには、法隆寺以前に、少なくとも1000年や2000年の試行錯誤の積み重ねが必要なはずなのに、そんな形跡が一切ないということだ。実際、記録手段(文字や図面)を持たなかった彼らは、自分の人生以上の時間にわたる試行錯誤は難しかっただろう。すると、彼らはほとんど試行錯誤することなく、独自の考えに基づいて法隆寺を生み出したことになる。なぜそんなことが可能だったのだろう?おそらく、今の私たちと違って、自然に密着した生活をしていた彼らには「木の声」が聞こえだのだ。そんな彼らに、木も「どのように使われたいか」を積極的に語ったに違いない。そんな能力もまた、「楽」や「便利」と引き替えに、私たち人間が失ったものである。


裏面:全国4紙+河北新報の1月1日のコラムを貼り付け。
コメント:新春恒例・・・今年もしつこく元旦のコラム。どれを一番優れていると感じるか?自分が書くとしたら何を主題にするか?そんなことを考えながら読んでみては・・・?