これは偉業だ!・・・白高の優勝

 3日間、県総体の登山大会(南蔵王)に行っていた。いろいろな事情があって、我が塩釜高校山岳部は昨年度末に廃部となってしまったのだが、例によって「派遣依頼」という魔法の紙が送られてきて、役員としてのこのこと出かけて行くことになった。
 幸いにして、3日間とも晴れ。特に行動の中心となる昨日の午前は湿度も低く、絶好の山日和であった。少し日射しは強すぎたが、青空を背後にした新緑と残雪の山はくっきりと美しく、稜線に上がれば吾妻連峰、飯豊連峰、朝日連峰、月山といった東北の名峰が一望できる。芝草平で昼食を取れば、そよそよと風が吹き、カッターシャツ一枚で暑くもなく、寒くもなし。木道の上で昼寝でもすれば、さぞかし気持ちよかろうと思わされた。
 既に何度か書いたことがあるのだが、私はアンチ競技登山の超強硬派である。歩行中の観察、ペーパーテスト、テント張り、持ち物検査などで100点満点の点数をつけ、順位を競うなど、登山の魅力を削ぐことも甚だしい。こんな競技は、頭の固い他競技団体の人々に、登山をスポーツとして認めさせるためにでっち上げられた方便であるに違いない。私が顧問をしていた時には、絶対に生徒を大会の下見などには連れて行かなかった、というのがほとんど「自慢」でさえある。
 とは言え、折に触れてそんな発言を繰り返してきたにもかかわらず、私が正規の顧問ポストを持っているかどうかに関係なく、大会やら宴会やらの時には呼んでくれるというのは、宮城県高体連登山専門部の懐の深さを示して余りある。
 さて、今回の優勝校は、女子が仙台三桜高校、男子が白石高校であった。白石高校はびっくり仰天!!15年か20年くらい前なら、白石高校は優勝常連校。毎年、白石工業高校と白石高校のどちらかがインターハイに行くという状況があった。ところが、競技登山に入れ込み、勝つことに生徒以上の執念を持っていた顧問が定年となり、その愛弟子も異動してしまうと、火が消えた。女子高と統合されたこともあって、現在は顧問が4名もいるのだが、どう見ても素人集団である。ご自身が若い頃から山登りをしていたわけではないというのはもとより、顧問になった以上は頑張るぞ、などという気持ちも強くはない。生徒を勝たせようと思ってもいなければ、そのための技術も知識もない。失礼ながら(本当にごめんなさい)、山を生徒と一緒に歩くことさえ怪しく思われるような方々である。
 私が思うに、競技登山で勝つためには、自分自身が勝負にこだわり、かつ審査員経験のある顧問(←ここ重要)によって鍛えられる必要がある。また、山登りが面白いとか面白くないとか考えてはいけない。ひたすら同じ山の同じルートを登るとか、黙々と机に向かうとか、何事も勝つためだと思って堪え忍ぶ覚悟が必要だ。どうも現在の白石高校には、そのような勝つための条件が一切ないのである。
 顧問の一人は、私が仙台一高時代に副顧問をして下さっていたK先生だ。当時K先生が顧問になった動機も、50歳を過ぎて山登りがしたくなった、平居先生が一緒に行ってくれるなら心強い、それなら顧問を引き受けてもいい、というものだったと記憶する。夏山合宿に一緒に行って、初日、K先生が「平居先生、やっと今日から夏休みですね」と言うのを聞いて、腰を抜かしかけたことがある。私にとって夏山合宿は、夏休み前の正念場、無事に生徒を下山させてようやく夏休みが取れる、というものだったのだ。
 閉会式終了後、私はK先生にお祝いを申し上げるとともに、なぜ白石高校が勝てたのか質問した。K先生は「いやぁ、何にもしていませんよ。部長の生徒が勝ちたくて、あれこれ自分たちで研究していたようです・・・」と答えた。
 これは謙遜ではなく、事実であろう。だが、生徒がその気になって研究し、努力すれば勝てるとは、私は今でも思えない。だが、事実を前にして、そんなことできるわけがないだろ?と言うのは愚かである。むしろ、そのように主張しようとすればするほど、彼らが成し遂げたことの偉大さを強調することになる。
 登山を競技化したのは間違いだし、基本的に大会の結果に価値があるとは思わない。だが、一定のルールの下での勝負で、生徒自身が勝つための方法を真剣に考え、試行錯誤しながら勝てるだけの知識と技術とを手に入れ、勝ちにこだわる競技登山型顧問によって鍛えられた学校を上回る結果を出したことには大きな価値がある。生徒による自主的、主体的な活動としての部活動の模範像でもあろう。それが登山であるかどうかはどうでもいい。そんな姿勢と頭の使い方は、彼ら自身を大きく成長させたはずだ。斜に構えてケチを付けるのが趣味であるかのようなこの私であるが、彼らに対しては全面的な賞賛と敬意とを捧げる。あっぱれ白高!