負のレガシー

 自民党総裁選に関するおびただしいニュースを、いつも通りの白けた気分で読み流している。自民党の総裁が直ちに首相となるわけだから、報道に熱が入るのは理解できるものの、それによって他政党の存在が霞んでしまうとなると、自民党にとって笑いが止まらないほどの宣伝効果だろう。対立選挙になってよかったね、という感じだ。
 もっとも、報道を見ていると、総裁選の争点がそのまま国政に直結する意識が強すぎて、なるほど、マスコミがこれでは自民党も真面目に国会論戦なんかする気になれないわけだ、と変な納得をする。国会での議論は軽視し、何もかも、自民党(与党)内部で決めてしまうことを、マスコミが容認しているように見える、ということである。
 総裁選の論点については、毎度同じグチの繰り返しになるので、今更論評はしない。関連して、ひとつの新聞記事に触れておこう。
 今朝の毎日新聞に載った「識者に聞く安倍・菅政権」という記事は好論だった。元経産省官僚で評論家の古賀茂明氏へのインタビュー記事である。経済政策以外については強い共感を持って読んだ。
 氏は、安倍・菅政権はたくさんの「負のレガシー」を残し、プラスはほとんど残さなかったと断じた上で、「負のレガシー」の具体的なものとして、「官僚支配」「地に落ちた倫理観」「マスコミ支配」「戦争のできる体制作り」の4点を指摘する。
 氏は、民主主義の原則論として、「選挙で選ばれた政治家が国家公務員の人事権を握ることは決して間違っていません」とした上で、「ただ、これは政治家が国民のために働くことが前提です」と切り返す。政治家が自分個人や党利党略のために人事権を利用することは間違いであり、それを大きく突き進めたのが安倍・菅政権だ、ということだ。
 また、「地に落ちた倫理観」について「今や『疑われても逮捕されなければ問題ない』という倫理観がまかり通って」いる点を指摘するのも痛快だ。もっとも、指摘は事実であり、それは「痛快」などとは言っていられない恐ろしいことなのだけれど・・・。
 何においても自分の利益。不都合なことは隠す、ごまかす、答えない。古賀氏は述べていないけれども、衆議院の解散権の恣意的運用(国民の意見を聞く必要性を認めた時ではなく、自分たちが勝てるタイミングを探す)、国会議員の4分の1位以上の求めがあっても国会を開かない(何日以内にといった条件が書かれていないことを「いつになってもいい」と解する)なども全て、古賀氏が指摘するような姿勢に基づいている。
 しかし、いつも言うとおり、これだけ露骨に、自分たちの都合で政治を動かしていても、選挙で負けないのだからどうしようもない。小選挙区制などの選挙制度も非常に悪いが、やはりどうかしているのは国民である。
 最近、就職試験や大学の総合選抜型入試が行われているものだから、私も面接練習というものに付き合ったりする。「最近の世の中の出来事で印象に残ったのはどんなことですか?理由も含めて教えて下さい」というのは、会社、大学を問わず定番問題中の定番問題だ。聞いてみると、生徒があまりにも昔のことを答えたりするものだから、私は「最近、アフガニスタンがよく話題になっていましたが、具体的にはどのようなことですか?」と聞き返してみると、今までのところ、答えられたのはたったの1名で、他の十数名は一言も答えられず、「何ですかそれ?」みたいな顔をしていた。
 これは驚くべきことである。いつもスマホを握りしめて生活している彼らが、どうすればアフガニスタンに関する最近の動きを一切知らずにいられたのか、私にとっては「芸当」と言ってもいいくらい難しいことに思われる(彼らは、世界地図でアフガニスタンのおよその場所を指摘することも多分できない)。私が日頃接している生徒が、日本の最下層というのならまだ分かる。しかし、学力で見るなら、極めて平均的日本人と思われる生徒たちなのだ。アフガニスタンで何が起こっているのか、一切知らなかった生徒たちに、自民党総裁選で、あるいは与党と野党との間で、どのような政策論争が行われているのか理解していろ、というのは無理な話であろう。
 高度な知識がなければ理解できないような政治問題を理解できるようにするために、学力を付けさせるのは私たちの仕事だ。しかし、これだけ多くの情報の氾濫している世の中で、政治や社会に関する情報には接することのない生活をしている人たちに、情報に接することから手ほどきをするのは、あまりにも基本的な意識の問題なので難しい。
 世の中がこれほどダメになっていくのは、私たちの努力が足りないからなのだろうか?それとも自然法則なのだろうか?・・・あれれ?結局やっぱり同じグチ?