選挙制度の壁と民意の謎

 とうとう衆議院議員選挙が始まった。前回、「全てに優先させるべきこと」という記事を書いた時は、とにかく安倍政権だけはつぶさねば、という思いから、民進党希望の党の合流も「是」としたのであるが、その後、民進党の議員を改憲と安保法制でふるいにかける、という話が聞こえてきたあたりから、第2自民党としての希望の党の本質もはっきりし見えてきたように思ったし、これで本当に合流が上手くいったりするのかなぁ?といぶかしく思う気持ちが強くなってきた。希望の党民進党から合流しようとする議員を選別することは、悪いことでも何でもない。大事なところで思想が一致しなければ、政党として成り立たないからである。
 ともかく、そうしたいぶかしさがだんだん強くなってきたところで、枝野が立憲民主党を立ち上げた。これは偉いぞ、と思った。実際には、希望の党に入りたくても入れてもらえない哀しい人たちが集まっただけかも知れない。しかし、安保法制に反対し、安倍政権の憲法軽視の姿勢を批判してきた人たちの、節を貫こうとした結果、希望の党にはどうしても尻尾を振れないというプライドを感じたのも確かである。そしてそれは事実であろう。追い詰められて節を曲げ、希望の党に入り込んだ人たちの中にも、激しく後悔している人はいるのではなかろうか?前原の罪は重い。
 民進党希望の党に合流すると言い出した時、自民党公明党は、選挙のための野合だとその動きを強く批判した。耳を疑う。自民党公明党の連立なんて、15年も前には想像も出来なかったことである。それは政権を手に入れるための野合ではなかったのか?更にその前、自民党社会党と連立政権を組むという破天荒なことをしている。それは社会党つぶしであり、首相の座と引き替えに魂を売った社会党が将来を失ったのは当然の天罰なのであるが、それもまた野合というものではなかったか?残念ながら政治はそういう汚い駆け引きに支えられている。
 立憲民主と共産、社民が共闘関係を作るのは当然だ。だが、世論調査の結果は冷たい。それを見ながらつくづく思うのは、小選挙区制という選挙制度の問題だ。本当に主張の相対立する2大政党がしのぎを削っているだけならともかく、それらの間に多少の強弱格差があり、さらにそれが3つ、いや4つに増えたら、死に票ばかりがむやみに増えることになる。そして、わずかな得票率で、圧倒的多数の議席が確保できる、という可能性も生じる。小選挙区制は、「三つどもえの闘い」などというものを許容しないように出来ているのだ。
 小選挙区制に選挙制度が変わる時、既にそんな問題は指摘されていて、反対した人もそれなりにいた。しかし、結局、賛成派が多数を占め、制度は変えられてしまった。国民が愚かであった結果として、その愚かさを回復させにくいシステムが作られ、ことは悪循環を起こして今に至る。今回の選挙で、それがさらに悪くなる可能性も決して低くはない。
 しかも、民主政治の主人公は「民」であり、どの政党が政権を取っても、あらゆる「民」を尊重し、出来るだけ多くの人が納得できるような政治を目指してくれるならともかく、1票差、1人差でも勝ちは勝ちとして、好き勝手をする風潮があるから、なおのことたちが悪い。民主主義の曲解などと文句を言っても始まらない。何が正しいかなんてどうでもいい、自分たちのしたいようにする。それが全ての人たちなのだから・・・。
 選挙制度は確かに非常に悪い。だが、安倍政権の5年近い日々を振り返り、今回の解散のいきさつを目の当たりにして、これで彼らが勝てるとしたら、民意とは一体何なのだろう?出来る限りのことをしつつ、その結果をとくと見させてもらおう。