中曽根・学術会議・携帯電話

 文科省が、中曽根康弘元首相の葬儀に当たり、国立大学に何らかの形で弔意を表すようにとの通知を出したらしい。日本学術会議の会員任命問題に引き続き、これまたひどい話である。しかも、中曽根氏の葬儀は政府主催ではなく、内閣と自民党との合同葬だという。「弔意」という内心に関わることを、外形的に示せと命じるのは、「日の丸・君が代」と同じ構図であるが、いくら元首相とは言え、一つの立場を代表する人物でしかないのだから、一応(まったく一応)、合意を得て法律で定められた「日の丸・君が代」を強制するよりもたちが悪い。自分たちにとって大切なもの(こと)は、国民、少なくとも公所においては大切であって当たり前だというこの図々しさ、傲慢さは、吐き気がするほど不愉快だ。
 日本学術会議の人選については、その後もいろいろな報道を見ながら憤っている。多くの人が指摘しているとおり、この機に、行革との関係で学術会議の組織を見直すなんて、まったく問題のすり替え以外の何ものでもない。首相のところに決裁文書が回った時には、既に6人が省かれて99人になっていたとか、にもかかわらず、首相が「総合的俯瞰的に判断」したと主張しているとか、説明以前の部分で既に破綻している。それでも、首相と言い官房長官と言い、平然としていられるから、やはり政治家、否、地位の高い政治家というのは並の神経ではない。
 根っこにあるのは、自分の意のままに人を動かしたいという欲望であることは間違いないが、もう一つ看過できないのは、静岡県知事が言っているように、そもそも「学問とは何か」が分かっていない人が、学問に関わろうとすることの問題である。更に正確に言えば、「学問とは何か」が分かっていない人が、自分には分かっていると思い込んで、学問を左右することの愚だ。
 ところで、首相は、就任の時から、携帯電話の料金引き下げを公約として口にしていた。携帯電話の料金に国が介入できるというのは不思議なことで、国が下げろと言えば下がるのなら、それ以前の料金っていったい何なの?という話である。一つの独占企業によって携帯電話が供給されているなら分からなくもないが、少数とは言え、一応幾つかの会社が競っているのである。
 まぁ、それでも、それはそれでいいことにしよう。憶測でものを言って申し訳ないのだが、私が不愉快なのは、学術会議の議論の横で携帯電話の値下げ議論(指示)があり、携帯電話の料金が下がれば、大半の国民は大喜び、日本学術会議などというなんだか偉そうな組織のメンバーが誰になろうがどうでもいい、となるであろうと容易に想像できることである。
 政府が同時にいくつもの政策を進めていかなければならないことは分かる。その中で、あえて今、携帯電話の料金引き下げを持ち出していることが、日本学術会議の問題を覆い隠すためのものであるとは思わないであげることにしよう。だが、それにしても、である。
 本当に大切な問題がどちらなのか?「ありがたい」と「大切」をはっきり区別して考える。国民がそんなことを出来るようにならなければ、今後も政権はやりたい放題で、本当に世の中は滅茶苦茶になってしまう。