教育委員会は確かに問題なのだけれど・・・

 西日本では35℃を超える猛暑だと言うが、ここ石巻では25℃にもならなかった。じっとしていると涼しいが、梅雨のような天気で湿度が高く、少し動くと汗をかく。明日からは気温が上がるらしい。
 さて、少し、新聞記事に触れておこう。今日は、8月3日河北新報「時評 きょう あした」欄に載った片山善博氏(現早大教授、元総務相)の意見。見出しは「休校要請に思考停止の教育委」。
 氏は、2月27日に首相が突然の休校要請を言いだした時、学校を管理・運営する主体である教育委員会が、ほとんどまともな議論をすることなく要請に従ったことを問題視する。教育委員会の会議さえ開かなかった自治体の例なども挙げ、氏は「首相の一言やそれに続く文部科学省からの要請で金縛り状態になった教育委員会が多かったようだ。」とする。奇しくも私は、このブログ3月1日の記事に次のように書いた。

「『要請』であって『命令』ではないのだから、私の勤務先も含めて多くの県、市町村の学校がまさかそんな強引なことをするわけがない、と一瞬思ったが、いやいや、首相が何も言わなくても『忖度』が起こりがちな昨今である。『要請』は『強い命令』と認識されるに違いない、これはたいへん!と思い直した。」(全文は→こちら

 片山氏が読んだら、「これはなかなか鋭い!」と喜んでくれるに違いない。
 片山氏は、休校を決めた教育委員会の会議録が公開される時期になったため、議論の実態を検証することが可能になったとして記事を書いたらしいが、何もそんなことをしなくても、首相の記者会見直後から容易に予想できたことである。
 各自治体の教育委員会のふがいなさを嘆いても仕方がない。戦後の教育は、一時民主化へ向けて大きく舵を切りかけたと思うや、あっという間に為政者(政治家+官僚)が巻き返しに転じた。そして、「勤務評定」や「日の丸・君が代」といったものを巧みに操りながら、ひたすら上意下達を徹底し、下から上への批判(問い直し)を封じる方向へ動いてきたのである。コロナウィルスという、あまり政治的イデオロギーが関係しそうにない問題だからといって、突然、上の言うことをしっかり吟味しろ、と下に言っても無理である。しかも、教育委員会、と言うより、実質的な権限を持つ事務局(教育庁)に入るような人は、私と違い、上位者に対して従順な人に限られるのである。今や、平の高校教員ですら校長の意向に敏感で、逆らうことなんかできないのだから、「いわんや教育委員会(事務局)をや」である。
 教育委員会が無批判に「要請」に従ったのは、上意下達の徹底による条件反射だけではない。責任を負いたくないのである。首相の要請に反して授業を続けたとして、仮に感染者が出れば・・・、まして、死者が出た時には、「なぜあの時要請に従わなかったのだ」と袋叩きにされる。特にネット上で匿名で行われる「袋叩き」は、「えげつない」という下品な表現が最もふさわしいほど激しいらしい(←あまりリアルに見たことはないのだが、時々、これで死ぬ人がいるほどだから)。「要請」に従っておけば、「『要請』に従って、できる限りの対策を取ったにもかかわらず」と言える。
 自分の責任を回避するために、責任を上へ上へと押しつける。責任を押しつければ、責任を取る人の言うことには従わなければならない。こうなると、責任回避と上意下達は表裏一体。それは相乗効果を起こして、強め合っていく。悪循環とも言う。
 片山氏は、唯々諾々と、まともな議論もせずに「要請」に従った教育委員会について、「そこでは休校が子どもたちの教育権を奪うことや、学校、家庭や社会に甚大な影響を与えることの認識は実に希薄である」と書く。まったくその通りなのだが、大丈夫(笑)。私がよく言うとおり、「今の利益と将来の利益は矛盾する」「メリットは目の前に、より大きなデメリットが将来に」であって(→参考記事)、休校の影響が顕在化するのはかなり先のことで、しかもその時には、その間にいろいろなことが起こっているため、因果関係の検証(原因の特定)などできないからである。責任は必ずうやむやになる。だいたい、今の教育委員会のふがいなさだって、「勤評」や「日の丸・君が代」の果てにあるかも知れない(あるに違いない!)のに、おそらく誰もそんなことは考えないではないか・・・。そもそも、元々キャリア官僚だった片山氏は、文科省と似たり寄ったりの上意下達政策の推進に、積極的に関わっていた可能性すらあるのである。
 まずは、お上のご機嫌を損ねないように、まずは、自分が批判にさらされないように、そして自分以外のところに原因(悪者)を探す・・・、学校だけでも、教育委員会だけでもなく、社会全体(全ての人々)がそんな論理で動いている。片山氏が「自分の自治体の教育委員会が休校を決めるにあたってどんな議論や検討をしたのか、この際点検してみてはどうか。子どもたちの教育をあずかる教育委員会の力量や見識を確かめるにはいい機会だと思う」と書くのは、これまたその通りで、立派な提案なのだが、そんなことを意識しながらやらないと、ただの悪者探しで終わってしまう。他人事ではないのだよ。