「個人」が先です

 9月19日である。明日からは下旬。めちゃくちゃに暑い。しかも、湿度が高くてねっとりとした真夏の空気だ。
 確かに、9月に入ってから1~3℃気温が下がり、湿度の低い爽やかな日もあった。それでも、昨日までに真夏日が5日、熱帯夜が3晩あった。これを見ると少ないようだが、真夏日ではなかった、熱帯夜ではなかったとは言っても、「かろうじて」である。
 例えば、北緯38度26分の石巻で、昨日は最高が29.6℃、最低が24.5℃であった。これは平年をそれぞれ5.8℃、7.5℃上回る。それどころか、最高気温は、平年値が最も高い8月5~10日の27.4℃を1.8℃上回り、最低気温は、同じく8月3~13日の21.4℃を3.1℃上回る。しかも、昨日は湿度が特に高く、我が家から水平線が全く見えないほどだったので、真夏日でも熱帯夜でもなかったというのが信じられないほど暑く感じた。あまりにも異常だ。そう言えば、今日は群馬県桐生市で、猛暑日46日という日本新記録が誕生したらしい。真夏日ではなく、猛暑日である。これは正に想像を絶する。
 私はかなり前から、温暖化はIPCCの予想をはるかに超えたスピードで進む、と予言している。とにかく、自然現象というのは必ず加速するのである。そんな私でも、さすがに今年の気象は温暖化の延長線上にあるとは思えない。例外の部類に入るような気がする。しかし、一抹の不安も感じる。プラネタリー・バウンダリー(→参考記事)を超えてしまった地球では、自然は暴走するのである。もしかすると、それは私の予言を超えた暴走かもしれない。このような暑さの延長で、例えばシベリアの広大な泥炭が自然に燃え始めたら・・・おそらく、地球はほとんど生き物が住むことのできない汚れた灼熱の惑星になることだろう。
 巻き添えを食う他の動物には申し訳ないが、私はそれでもいいと思う。人間は自分の力で自分の愚かさには気付けそうにない。だとすれば、とことん環境を悪化させることによってしか地球は人間というやっかいな生き物を一掃し、元の姿を取り戻せない。
 ところで・・・
 昨日触れた植田先生の講演会終了後、何人かで酒を飲んでいた。話のいきさつと詳細は憶えていないのだが、自家用車の利用について、私が例によって「地球環境の問題から悪だな。」というようなことを言ったところ、相手が、「個人の自家用車利用なんて些細なことですよ。取り締まるべきは企業だね。」と応じた。
 確かに、個人の自家用車利用など些細なのである。以前にも書いたことがあるが、私の爪に火をともすような石油ケチケチ生活なんて、戦車が数㎞も走れば1ヶ月の全節約量が吹っ飛んでしまうほどのものである。しかし、だからといってそれを些細だと言ってはいけないのである。
 なぜなら、ケチケチの度合いは意識の全てを表すからである。個人が車を使うのなど些細なことだと言う人は、エアコンについても、使い捨て容器についても、自販機についても、それが個人消費である以上は些細なことだと言うだろう。だが、それらの背後にあるのは企業である。個人と企業を分けて考えることはできない。
 自家用車であれば、単に自動車メーカーがあるだけではない。増え続ける自家用車に対応するため、道路工事は延々と続いている。土木会社の背後には、材料会社がある。セメントを作るためには特に大量の石油が費やされている。石油の輸入、精製といった燃料関係の企業もある。言い出したら切りがない。個人と企業は表裏一体。少なくとも、個人の消費なんて些細なものだ、温暖化の責任は企業にある、などとは決して言えない。
 現在の人間の技術では、温室効果ガスの排出を減らすためには生産量を減らすしかない。仮に企業が悪いとして、企業が生産量を減らせば、それによって不自由になり不満を持つ人間が現れる。一方、個人が消費を減らせば、みんなのエコ意識がその水準に達しているということだから、社会が斜陽化したとしても、不平不満は出にくい。これは、上からか下からかという問題なので、民主主的であるのがいいのか、上意下達がいいのかという問題とよく似ている。企業こそ温室効果ガスの削減にもっと努力しろと言うのは上意下達、まずは個人が消費を減らそうと言うのは民主主義。手っ取り早いのは上意下達だが、根本的な解決は民主主義に頼るしかない。そもそも、民主義国家においては、企業に対する規制の強化も、民意によってしか実現しない。
 私がこのように考えるのも、自家用車は基本的に禁止、ペットボトルは繰り返し2~3年は使う、使い捨て容器に入った弁当も禁止、エアコンはなし、牛肉は買わない、といった生活をしているからだ。生活の隅々まで意識を張り巡らせている延長で、社会の石油消費にも問題意識が向くのである。おそらく、自分一人の石油消費など取るに足りないという人は、社会全体の消費についても敏感になれない。「できることから始めよう」「小さなことから実行しよう」という言葉はよく聞くが、「できること」が何か、「小さなこと」とはどんなことか、おそらくおとんどの人は真面目に考えたりしないのである。
 日が短くなってきたことは実感するが、果たして秋の空気はいつやって来るのだろうか?