難民受け入れで、国際貢献と地方の活性化を



 この2〜3年、難民に関する報道を目にすることが多いと感じていたが、最近はそれが急増しているように思う。シリアを始めとして、イラクアフガニスタンといった中東、更にはエリトリアソマリアといったアフリカの国々から、豊かで平和なヨーロッパを目指すらしい。トラックから大量の遺体が見つかったとか、すし詰めのボートで地中海を渡ろうとして多くの死者がでたとか、悲惨な話を耳にすることも多い。

 昨日の毎日新聞によれば、バルカン半島ルートでヨーロッパ入りを目指す難民の多くが、豊かで仕事もあるドイツを目指し、ドイツでは、今年の難民申請者が昨年の4倍に当たる80万人に達するだろう、ということだ。大きな経済的負担や、ネオナチの難民攻撃による治安の悪化など、ドイツにとっては頭の痛い事態である。そんな中で、難民収容施設を自ら視察したメルケル首相が、「他人の尊厳を疑問視する人間は断じて容赦しない」と語ったことは、たいへん尊敬に値する。

 ところで、日本は難民に冷たい国だというのは定説である。法務省によれば、昨年1年間に、日本で難民申請を行った外国人は5000人である(前年比53%増)が、その中で難民認定を受けることができたのは11人に過ぎない。その他に、難民として認定はされなかったが、人道上の理由から在留を認められた人が110人いる。それでも、ヨーロッパではドイツの40560を筆頭に、7位のイギリスまでが1万を超え、15位のマルタ(人口41万人!)までが1000を超えていること(EUの統計)を思うと、「日本は難民に冷たい」と言われるのも仕方がない。

 難民の認定に批判的な立場の意見として、本当に政治的な事情がないにもかかわらず、出稼ぎのために難民申請をする人がいる、という話は聞いたことがある。それはあり得る話だ。だが、それが5000人の中の多数派であるとはとても思えない。私は、尊敬するビルマ人が日本で難民申請をし、入国管理局に身柄を拘束されるなどの苦労をして、ようやく認定を得るまでの一部始終を見ていたことがあるが、日本の当局は、性悪説に立っているように見えた。「お前ら、政治的事情で祖国に帰れないとか言っているけど、本当か?何か別の魂胆があるんじゃないのか?」みたいな雰囲気である。

 東日本大震災の時に、私は、人間の元々住んでいた場所に対する執着の強さに驚かされた。私が見たところ、日本人に比べると、他国の人々は、そのような祖国や故郷に対する執着が弱いような気がする。それでも、大変なリスクを冒し、ほとんど財産も持たず、あえて他国に行くというのは、よほどやむにやまれぬ事情があるはずだ。自分がその立場になったら・・・果たして日本政府の対応を、仕方がない、と理解できるだろうか?

 PKOとか言って、自衛隊を海外に派遣し、変な誤解を招いて物議を醸すよりは、もっと積極的に難民を受け入れることこそが、世界の平和に貢献することになるのに、と思う。

 何となく難民を受け入れれば、仕事を探す都合もあって、彼らの多くは東京を始めとする大都市に住むことになるだろう。それは仕方のないことかも知れないが、いいことだとも思えない。地方は多く過疎化に悩んでいるわけだし、難民を受け入れた上で、居住地を指定し、地方の活性化を目指してはどうだろうか?地方には仕事もないから過疎化が進んでいるのだが、どうせ難民には生活保護の対象としなければならない人が多いだろうし、だとすれば、彼らが地方に住んで生活保護のお金で地方経済に影響を与えるというのは、決してマイナスとは言えない。国策で難民を受け入れるからには、地方自治体の負担を増やさないように、生活保護費の全額を国庫負担とすれば(現在は4分の3が国、残り4分の1は自治体)、地方交付税交付金を増やすのと同じ効果がある。また、難民には、漁業や農業に従事することを嫌がらず、その分野で力を発揮する人もたくさんいると思う。かれらが、第一次産業に活路を見出してくれれば、生活保護費が必要でなくなる上に、斜陽化している第一次産業が活性化する可能性も考えられる。

 いずれにしても、国際貢献には自衛隊の派遣よりも難民受け入れなのであって、どのようにすれば、それを日本にとってのマイナスにせずに済むかという問題は、受け入れを決めた後で真剣に知恵を絞れば、いろいろと解決の方法が考えられるだろう。自衛隊を動かしたくて仕方がない自民党的心性や、ヘイトスピーチに象徴される偏狭なナショナリズムだけが、難民受け入れの壁になる。私はそう思う。