朝市保育園がんばれ!



 昨日の『河北新報』に、「朝市保育園 窮地」という記事が載った。一読して、暗澹たる気持ちに陥った。およその内容は次のとおりである。

 「仙台市の朝市にある「朝市センター保育園」が、2017年度までに市が独自認定の制度を廃止するため、認可保育所への移行を希望したところ、保育園から70メートル以内の場所にパチンコ店があることを理由に、児童福祉施設として認められない、と仙台市から言われた。朝市保育園は、開設されたのが1987年で、2002年に市独自の認定保育施設として認められていた。」

 記事では、パチンコ店ができたのが2002年の前か後かは定かでないが、開園より後であることは確からしい。メチャクチャな話だな、と思う。開園の後にパチンコ店ができたために、保育園を認可できないというのなら、保育園があることを理由として、パチンコ店を作らせるべきではなかったのだ。仮に、パチンコ店ができたのが、開園の後、独自認定を受ける前だったとしても、助成金は受けないまでも、営業申請は出していたはずだから、市がその存在を知らないということはなかっただろう。万が一知らなかったとしても、パチンコ店が子どもの成長にそれほど悪い影響を与えるものであるなら、仙台駅前、仙台市の中心部で、絶えず親子連れも通行している場所であることを考慮すると、保育園があるかどうかとは関係なく、パチンコ店の出店こそ規制すべきだったのである。

 以前、二度ばかり、パチンコ店については問題として書いたことがある(2012年11月28日同年12月19日の記事)。換金できないことを稚拙なタテマエとして、このようなギャンブル施設が「娯楽施設」として幅をきかせていることを、私は日本社会の恥だと思っている。教員の世界でもパチンコ店通いは多く、職場で戦果が自慢げに語られることもしばしば。パチンコをすることがさばけた柔軟な人間の象徴であるかのように誤解し、自分もパチンコくらいしないと「堅物」として嫌われる、などと思う人さえいるように見える。なんとも情けない。

 以前書いた時にも取り上げた、若宮健『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』(祥伝社新書、2010年)によれば、政治家がアドバイザーとなり、機器の更新に警察の許認可が必要で、彼らに多くのお金が流れる仕組みができているからだ、という。パチンコ店のイベントに呼ばれるタレントやスポーツ選手、パチンコ店から莫大な広告料を受け取っている新聞社やテレビ局なども、利益に縛られてパチンコに文句が言えなくなっている、という点では同じだ。

 パチンコそのものがメディアによって問題視される機会は少ないし、私自身がその真偽を確かめることもできないので、果たして、若宮氏の主張が正しいのかどうかは分からないが、よく分かるのは、どう考えても現在のパチンコは立派なギャンブルであり、その換金システムは脱法行為であって、脱法行為をしなければならないということは、社会的な悪であると分かってやっているということである。

 そのパチンコ店が、人通りの多い市街地の中心部分に、保育園よりも後から作られ、保育園がその存在を制度的に主張した時には、パチンコ店の存在を理由に認可されないとすれば、これほど理不尽なことはない。ゲーム機、携帯電話、粗悪なテレビ番組などなど、人間の精神や成長に明らかなマイナスがある物も、商業主義の前に屈して、メリットだけが取り上げられ、その存在が野放しになっているものは多い。パチンコも同様だ。そして、それによって失われるものは、一見お金にならない、それでいて人間の生活や成長にとってより一層大切で、遠い将来に大きな利益を生むはずの思考力や安心や安全なのである。朝市保育園、なんとかして応援しなければ・・・!!