アラル海または同時代資料の力



 昨日学校で、知的好奇心旺盛な青年教師W先生と情報支援員のI嬢が、なにやら楽しそうに話している場所に行き合わせた。見れば、W君の目の前には、高校生が授業で使う地図帳が広げてある。場所は中央アジアだ。

 W「あっ、平居先生、アラル海って知っていますか?」

 H「当たり前だよ。海とは言っても内陸の塩湖で、もうすぐ干上がるんじゃなかったっけ?」

 W「さすが平居先生、すごいですね。だけど、これどうして塩湖なんですか?」

 H「(長いので説明省略)」

 W「じゃあ、どうして干上がりそうなんですかね?」

 H「流入量と蒸発量のバランスが崩れたからだよ。」

 W「そんなことくらい、僕にでも分かりますよ。問題は、なぜそのバランスが崩れたか、じゃないですか・・・」

 H「う〜ん、それは私にも分からない。温暖化、砂漠化じゃないかと思うけど、アラル海だけがなぜ?という気もする。聞いたことあると思うんだけど、思い出せないよ・・・。」

 W先生の広げている地図帳では、アラル海は二つに分裂してやせ細り、いかにも気息奄々といった雰囲気が伝わってくる。行ったことのある場所でもないし、わざわざ意識してアラル海を見つめる機会など、高校時代の地理の授業以来なかっただけに、そうか、今や世界地図でも、アラル海の縮小がこれほどはっきりと表現されているのか、との感慨だけを抱いた。

 1時間あまり後、W先生が、いかにも嬉しそうに、「平居先生、分かりましたよ」と声を掛けてきた。一瞬何が分かったのか分からず、ポカンとしていた私に対し、「アラル海が干上がる理由ですよ。」と畳み掛けてくる。

 1960年代、ソ連スターリン政権が、アラル海流入するアムダリア川をせき止め、付近を潅漑して綿花畑を作った。その結果、アラル海への流入量と、アラル海からの蒸発量とのバランスが崩れ、アラル海は一気に干上がり、面積を縮小させてしまった。もともと四国と九州を合わせたくらいの大きさがあったアラル海が、わずか半世紀で、大分県くらいの大きさまで縮小し、東西二つの「海」に分かれてしまった。

 とまあ、こんな話を聞かせてくれた。ネット検証をしてみると、「せき止め」は言い過ぎかも知れないが、まずまずそんなところであろう。歴史的な環境破壊の事例として有名らしい。言われてみれば、高校の授業でそんな話を聞いた気がする。人間のしたことによって、環境はこれほどまでに激変するのだ。しかも、綿花畑を作るという利益が、すぐ目の前に見えているのに対して、アラル海が干上がるという現象はずっと先の話だ。「利益は目前に、より大きな不利益が将来に」という私の口癖そのものの事例を見せつけられた気がして、空恐ろしい思いがした。ネットで見ることができる「船の墓場」は、なんとも寒々とした、不安感を掻き立てる風景だ。

 ところで、帰宅してから、我が家にはいろいろ地図があるぞ、と思いながら、3冊の高校生用地図帳を引っ張り出してきた。昭和61年(1986年、帝国書院)、平成7年(1995年、二宮書店)、平成14年(2002年、帝国書院)の3種類だ。もうひとつ昭和50年代のがあると思っていたが、見付けられなかった。多分、実家に置いてきたのだろう。

 非常にリアルである。昭和61年版では、アラル海はまだ立派な一つの丸い海であるが、平成7年版では輪郭こそさほど変わっていないものの、大きな島が三つ出現し、平成14年版では、すっかり二つの海に分裂している。もちろん、アラル海縮小の過程なんて、ネットで探すと、航空写真も含めてもっと詳細にたどることができるわけだが、私にとって、この三冊の地図帳を見比べた時の方がはるかに生々しく実感される。これは同時代(厳密には、数年もしくは十数年のズレがある)資料の持つ力であろう。これだから、家の中が窮屈になろうとも、紙の資料は手放せない、と改めて思ったことであった。