ビルマのおじちゃん

(2月19日付け「学年だより№81」より①)

 

 東キャンパス保健室前の梅が開花した。桜の開花予想も発表され、仙台は例年より早い4月1日だそうである。朝晩、日の長さも感じられるようになってきた。
 ところで、今月の1日に、ミャンマーでクーデターが起こった。2011年、「建国の父」の娘であり、ノーベル平和賞受賞者でもあるアウン・サン・スー・チー氏を中心とした民主派が、流血なく軍から政権を奪い、民主化を進めてきた。それからわずか10年で、再び軍事独裁政権に変わってしまったのである。
 私には、約20年前にヤンゴンミャンマーの最大都市。当時は首都)で偶然知り合った友人がいる。彼は民主化運動に関わりすぎたため、身に危険が迫ったとして、約15年前に日本にやってきた。紆余曲折の末、難民申請が認められ、今も日本(東京)に住んでいる。私より10歳あまり上なのだが、たいへんな人格者で、私の家族は「ビルマミャンマーの旧称)のおじちゃん」と呼んで敬愛している。
 さて、なぜ彼は「ミャンマーのおじちゃん」ではなく、「ビルマのおじちゃん」なのか?それは軍事独裁政権が国名を変更したからだ。国を「ビルマ」と呼ぶことは、軍事政権を認めないという意思表示になる。だから軍事政権に批判的な、いわゆる民主派の人々は、今でも自分の国を「ビルマ」と呼ぶのだ(民主政権が国名変更に取り組まなかったからか、今では「ミャンマー」容認派も増えているようだ)。日本のように政治的に静かな国で生活していると、そういう大きな国内対立はイメージしにくい。
 民主化の進展に伴って、そろそろ祖国に帰れそうだと思っていた矢先のクーデター。時々電話をくれる「おじちゃん」の驚きと落ち込みは激しい。民主主義や平和(=自由と権利)を守り、住み心地のよい社会を作ることは難しい。だがそれは、日本でも本当は同じこと。日本国憲法には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」(第12条)と書かれている。自由や権利があるのは当たり前ではなく、一度憲法に書き込まれた自由や権利は、永久に私たちのものとして保障される、というものでもないのである。