ビルマ人はミャンマーに帰れるか?



 3日間の関西行きの最終日は、東京で、私がこよなく敬愛するビルマ人亡命者M・A氏(63歳?)と会っていた。

 彼の娘と孫娘が滞在許可が切れるのを機に、3月末に祖国に帰ることが決まった。この孫娘は、日本で生まれ、日本語もビルマ語も流暢ということで、私の娘とも多少の付き合いがあった。帰国を前に石巻に家族を招待しようとも思っていたのだが、お互いの都合が合わなかったので、この折に一度顔を見て感謝と激励とを伝えておこう、政治情勢の変化も著しいので、M・A氏の今後も含めて、その辺の話をいろいろ聞いてみたい、そんな気持ちでの訪問であった。

 上野駅の中央改札口には、M・A氏と奥様のM・M氏、そして数日後に離日することになった娘と孫娘とが来てくれていた。一通りの挨拶が終わると、私は3人と別れ、M・A氏と2人で昼食に出かけ、ゆっくりと話し込んだ。

 周知の通り、ミャンマーは急速な勢いで民主化が進んでいる。アウン・サン・スーチー女史率いるNLD(National League of Democracy)は合法組織となって国会で一定の議席を占め、彼女は党首として、海外を訪問するなど、相当自由な活動が許されるようになった。

 しかし、日本にとってもミャンマーにとっても隣国である中国の現代史などを見てみると、共産党は手綱を緩めると見せかけては、次の段階で強烈な締め上げを行い、緩んだ時に安心して少し行きすぎた言動をした人間は、以前にも増して厳しい扱いを受ける、そんなことが繰り返された。ミャンマーだって、明るい見通しを持っていいのかどうか、まだまだ不安な感じがする。

 ところが、半年くらい前までは、ミャンマー情勢はまだまだ楽観視できない、というようなことを言っていたM・A氏も、今は、その流れは持続すると考えているようだった。もう少し様子を見ながら、2年くらいのうちに、自分も帰国することを考えるかも知れないと言う。

 もっとも、ミャンマー民主化が進むことで、在日ビルマ人の帰国が既に続々と始まっているかというと、そんなことはないらしい。高齢者には、子供達を始めとする親族も日本にいる場合、たとえ帰国であっても日本にいる親族と離れたくないという気持ちがあり、若い世代は、それぞれに日本で職業に就いてしまっているため動きにくいのだという。今回、娘と孫娘は帰国することになったが、それはミャンマー国内の状況を確かめるという目的があってのこと。仕事の都合で、娘の夫(やはりビルマ人)は当面日本に残るらしい。

 4月の半ばには、アウン・サン・スーチー女史が来日する。NLD・LA(Liberated Area)の東京支部の長老格らしいM・A氏は、スーチー女史を招いての集会が実現することを、とても喜び、楽しみにしているようだった。

 もしもこのまま、無血で軍事独裁政権が完全な民主政権に移行したら、世界史上でも特筆すべき出来事となり、それは、ミャンマー人にとって限りない名誉となるであろう。私としても、まさに心ときめくような政治的もしくは世界史的イベントである。

 だが、そんなたいそうな見方よりも、ひとつの家族が、みんなそろって生活できるかどうかの方が重要にも思える。国がいくら戦勝の喜びに沸いても、子を失った母の悲しみは深い。国家の安泰は、個々人のささやかな幸せを保障するためにこそ価値がある。国民の不幸の上に立つ国家の安泰などあり得ない。認定を受けることが出来た人(これは自由意思で日本にいるのではなく、帰りたくても帰れない人であることを意味する)だけで約300人という在日ビルマ人(亡命者以外に、不法滞在者やごく一般の長期滞在者は10000人あまり)が、早く帰国して家族と共にミャンマーで暮らせるといい。M・A氏が帰国するとすれば、それは私にとって寂しいことでもあるけれど・・・。

(このブログ内の参考記事)

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2009年11月25日