弁護士による憲法講座

(2月19日付け「学年だより№81」より②)

 

【今日は憲法特集・・・第3回教養講座】

 (ブログ用の解説:2月10日(水)、塩釜高校第2学年は、第3回教養講座なるものを催した。今回は、仙台弁護士会に依頼し、松村幸亮(まつむらたかあき)さんという若い弁護士さんを派遣してもらい、「主権者となるに当たって知っておきたい憲法の話」という講演をしていただいた。以下、それについての記事。)


 幸いとても暖かい日だった。ヒーターの音がうるさかったなど多少の問題はあったが、本物の弁護士さんから憲法についての話を聞けたことについては、概ね好評だったようだ。
 しかし、諸君の感想を読んでいると、高校はもとより、中学校でも絶対に授業で勉強したはずのことについて、「初めて知りました」みたいなことを書いている人が多く、私たちはショックを受けていた(特に、法律を作っているのが国会であると、すぐに答えられなかったのは衝撃的だった!!)。
 この「学年だより」でも、今日(ブログでは昨日)の冒頭のような形や、裏面に貼り付ける新聞記事の解説で、何度か憲法を取り上げているのだが、憶えていないか、読んでいないかなのであろう。国語の授業をしていても、知識の定着が非常に悪く、だからこそ、私は最近「復習」の大切さについて書いたりもしたのだが(12月25日№74)、外部の方に対しての作文となると、なんだか学校が何もしていないようで恥ずかしい。
 恥ずかしいと言えば、相変わらず誤字の博物館。「構話」「講和」「権法」・・・お~い、なんとかしてくれ!

 

〈諸君の感想より〉

*自由から選挙がつながっていることに驚いた。今回の話を聞いて、選挙権を得る前にもっと世の中を知らないといけないと思った。社会を知らないと、今、それから将来どんな風にしたいかも考えられない。やはり新聞や本を読んだり、ニュースを見たり、日頃から社会を知ろうとすることが大切だと感じた。
*自分たちの自由を守るために、選挙で考えて選ばないと、自分たちに生きづらい、大人にとって有利な法律ができてしまうことが分かった。自由と言っても、動物のような自由だと、強い権力者が出てきた場合、奴隷的な拘束をされても、それから逃れる、自身を守ることができない。法律や破壊のルールに縛られて自由が制限されていると思っていたが、それは自由・権利を守るためのものであると知ることができて良かった。
*今回講話を聞いていて、自由とは何か、権利とは何かを改めて知ることができました。また、来年には自分も投票できるようになるという自覚を持つことができるようになりました。「良い人」を選ぶというより、自分の権利・自由を尊重してくれる人を選ぶということを聞いて、来年しっかり考えてみようと強く思いました。弁護士の方の話と聞いて、むずかしい話をたくさん聞くのかなと思っていましたが、分かりやすい話でたくさん学ぶことができました。
*自由がない時代にいた人達が、権力者に立ち向かってくれなかったら、今はまだ自由がなかったのかなと思いました。今回話を聞いて、今までは、全部が自由だったらみんな幸せになれると思っていたのですが、法律や憲法があるからこそ、みんな平等に、今の幸せがあるのかなと思いました。
*学生の服装や髪型についての裁判があったということに驚きました。そんなに身近な問題も裁判になっていることに、権利の身近さを改めて感じました。また、私は正直選挙には行かなくてもいいなと思っていました。しかし、弁護士さんの若い世代がどうせ・・・と選挙を放棄することで、高齢者にとって有利な政治になってしまうという話を聞いて、選挙に参加しようと思えました。私たち若い世代にとって有利な人を当選させるために行くのではなく、少なくとも若い世代にとって不利な人が選ばれることのないよう、自分の一票を使いたいと思いました。
憲法は、昔の人々が権力者に支配される中でも、自由を求めて必死に作った血と涙の結晶であると思いました。そして、自分たちはそれの下でこうして自由に、学校に行ったり遊びに行ったり、勉強したりできることは幸せだと思いました。
憲法は難しいけどけっこう身近で、だけど全然知らなかったなと思いました。新しい人権もけっこう作られていて、特に、「忘れられる権利」は印象に残りました。そういうことも保障されるんだなと驚きました。これからも新しい人権などが作られていったら、そのうち矛盾が発生したりしそうだと思いました。もう少しで18歳になり、有権者になるものの、まだよく分からないことが多くあるので、勉強しないとなと思いました。もう少し若い人に優しい社会になればいいな、ではなく、自分から変えて行こうとする積極性が大事なんだと思いました。
*最も印象に残ったのは、全員が自由を主張したら誰かしらの自由が損なわれるという話で、国家が憲法で定めているのは、公平なものなのだなと思った。しかし、自衛隊憲法論争や、ただ相手をなじるだけの会議、最近のことでは、会食をするなと言うのに、ステーキ会食をしていたりなどのことを見ていると、なんか絶妙な気持ちになりました。そのような事ばかりしている人達に権力があり、日本という国を動かしていると思うと、この先、自身が大人になり、働き続ける中でどのような世の中になるのだろうと心配です。選挙に参加できる年齢になったら、積極的に参加していこうと思います。

 

〈平居の補足講座〉

その1)憲法は法律と違う。それが最もよく表れている、いわば憲法の核になるのは、前文でも9条でもなく、第99条だ。そこには、憲法を守るべき主体が誰かが書かれている。
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」
 憲法を守るのは国民一般ではなく、公権力を行使する立場にある人達=公務員(特に法律を作る国会議員)である。だが、公務員が憲法に違反することをしたとして、憲法がそれを捕まえたり罰したりはしてくれない。諸君も講話の中で気付いたとおり、国民が彼らの動きをチェックしていくしかないのだ。
 誰でも口では立派なことを言う。それにだまされずに、政治家の価値を見抜いていくことは、非常に大変な作業である。民主主義こそが理想的な政治システムであるかのようなイメージがあるが、実は扱いがとても難しいシステムでもある。「アラブの春」と呼ばれるアフリカ諸国の民主主義革命(2010年頃)が、その後どうなったかを見てみると特によく分かる。
その2) 選挙に行かないと、高齢者にとって都合のいい社会が作られてしまうという話に反応した諸君は多かったようだ。だが、これも初めて聞く話では絶対にない。

 

(2019年7月2日「学年だより№12」の冒頭を貼り付け。ブログでは→こちら

 

今これを見てどう思うだろう?「忘れたの?ケシカラン!読んでいない?論外だっ!!」と声を荒げたりはしないことにする。人間には「気づくタイミング」というものがある。多くの諸君にとって、今がそのタイミングだということにしよう。


(2021年2月17日付け朝日新聞「茶髪禁止校則違法と認めず 大阪地裁判決」を貼り付け。今回は「学年だより」本文が長く、裏面にも続いているので、若干縮小をかけてB4版4分の1のこの記事のみ。平居コメントは「校則は違法ではないが、指導の仕方には行き過ぎがあったという判決」という簡単な解説のみ。後で考えてみると、校則の違法性を争った裁判であって、直接憲法との関係が問題になっているわけではない。)