ダディンジュ(ビルマの火祭り)



 早くも10月。昨日までの四連休は、半分以上を部活と採点とに費やし、何となく釈然としない気分であったが、その前の週末はちゃんと休みで、珍しく家族で東京に行っていた。たくさんあった目的のひとつに、ある友人を訪ねるというのがあった。その友人とは、日本に政治亡命しているビルマ人である(彼は自分のことを「ミャンマー人」とは言わない。どうしてだろう?調べてみよ)。私が何かの政治活動をしていて知り合ったというのではなく、昔、ヤンゴン(当時はミャンマーの首都)の路上で全く偶然に知り合ったというだけの人物である。少しばかり話をして、私は、その穏やかで温かく、謙虚で素朴な人格に深い感銘を受け、敬愛の念を日々強めながら今日に至っている。彼は三年あまり前に、突然、人権問題に関するNPOの国際会議に出席するために来日し、そのまま政治亡命を申請、それが昨夏にようやく認められ、今春は奥様を呼び寄せることが出来た。奥様が来日してから一度も会っていなかったので、歓迎の意を込めて表敬訪問した、というわけである。

 先週の日曜日と言えば、ヤンゴン民主化を求める僧侶達のデモが始まって数日目、しかも、在日ビルマ人による「火祭り(ダディンジュ)」が行われる日であった。彼のアパートでビルマ料理をごちそうになった後、ダディンジュの会場へ行った。「火祭り」と言っても火はない。屋台が並び、野外ステージで演説や音楽、踊りが繰り広げられていた。1000人近い人が集まっていただろうか。一角に、現在のミャンマー情勢を知らせる写真等の展示コーナーがあった。在日ビルマ人の多くは、政治的事情で祖国を出た人々である。民主化運動は、今まで何度も盛り上がりながら、その度につぶされてきた。だから、今回もうまくいくとは楽観できない。

 彼らと接していると、私達にとって当たり前のこと(民主主義であれ言論の自由であれ)が、いかに当たり前ではないかということを強く感じる。と同時に、私達はそれらを当たり前と思っているために、彼らの何分の一もそれらについて考えず、また、維持する努力、或いはそのシステムを使ってのよい国作りに真剣でないことを感じさせられる。ミャンマーでこれ以上人の血が流されることなく、よい決着が得られるように願いながら、情勢を見守りたいと思う。