ある卒業生の結婚式



 先週の土曜日は、前任校で担任をした生徒の結婚式に出席した。私の教員としての人望の無さもさることながら、最近は結婚式(披露宴)をしないとか、「地味婚」で親族だけとかいう風潮が非常に強いので、卒業生の結婚式というのは本当に久しぶりであった。

 「ご祝辞を頂戴したい」などと頼まれていたので、何を話そうかあれこれ考えたあげく、2005年1月17日付のこのプリントで、彼から来た年賀状を取り上げたのを思い出し、その時の記事を朗読した上で、若干の補足を加えて祝辞とした。諸君が人生を考える材料としてもいいと思うので、その記事を引用しておく。「今年の年賀状より」と銘打って、何通かの年賀状を取り上げたシリーズの第1回であった。


[新年あけましておめでとうございます。元気に山登ってますか?僕は昨年の4月からピアノ調律の研修を浜松で受けています。今年の4月からは、新米調律師として、仙台の楽器店で働くことも決まりました。社会人となるのは人より少し遅くなりましたが、これまでの経験を大切にし、頑張ろうと思っています。今年もよろしくお願いします。]

 前任校で2年間担任をしたM君。山岳部に3〜4ヶ月間在籍。様々な問題を抱えていて、何度も両親に学校に来てもらい、卒業を心配した。在学中、一貫してピアニストを志望し続けた。私も一度だけその演奏を聴いたことがある。丁寧、誠実な演奏だったが、技術的には全く未熟で、それを職業にするなど考えられなかった。反対する周囲を振り切り、新聞奨学生をしながら東京の音楽専門学校に通った。誰も、Mがそんな厳しい生活に耐えられるとは思っていなかったが、Mは3年間それをやり切り、プロのピアニストになれないことが分かってきても、ピアノをあきらめきれず、ジャズの某ライブハウスで、演奏ではないアルバイトをしながらうろうろしていた。そして、昨年「ピアノに関わる仕事に就くことが出来ました」という抽象的な年賀状を寄越し、今年は上の通りである。自分が強く希望していたピアニストにはなれなかったが、それを目指す努力の過程も、どうしても夢が実現不可能だと分かった時に、どこに活路を求め、ピアノに対する愛を貫くか、ということにおいても、非常に感動的な例だと思う。


 高校時代に問題児であった彼が、全く見違えるように立派な社会人となった姿を目の当たりにし、結婚に立ち会うのは感動的である。式では思わず涙が出そうになったほどだ。「立場上」でも「義理」でもなく、かつての生徒の人生の節目を心から祝福できるのは幸せである。久々に(?)教員やっていてよかったなぁ、としみじみ思ったことであった。