目指すべき「上」を問い直す

 今日は機関工学類型2年生の遠洋航海実習出港式。もっとも、昨日になって、宮城丸に修理の必要な個所が見つかってしまったため、全校生徒の見送る中、今日は漁港を出港するものの、そのままヤマニシ(造船所)に行って作業をし、本当の出港は明日以降になるのだとか。
 私は出港式に行かなかった。宮城県高等学校特別活動教育研究会第5地区研究会というものから講演を頼まれ、小牛田農林高校に行っていたからである。昨年11月だったかに依頼された時、窓口になっていたのが親しい教員だったこともあって、冗談半分で「5万円なら受けてもいいよ」と言っていたが、確約のないまま、先月半ばに依頼状が宮水の校長宛に送られてきた。その後聞けば「タダ」だと言う。まぁ、そんなものだろな。
 与えられた演題は「ホームルーム活動の指導力向上を目指して」、時間はなんと90分である。う〜ん、私が偉そうに何を話せるのかな?と思った。断るわけにも行かず、私自身が自分のしてきたことを反省するチャンスかも知れないとも思ったので、宮水で担任をした3年間と、仙台一高62回生を担任した3年間の学級通信を読み直してみることにした。昨年末、名古屋を往復する船の中で私がひたすら読み続けていたのは、この学級通信である。年に40枚くらい。6年間で240枚。表は私の字、裏は新聞や書籍からの引用で、かなりびっしりと字が並んでいる。本にすれば何ページ分の字なのだろう?名古屋を往復しても読み終わらなかった。
 結局、ホームルームで担任として何をしていたかという具体的な話はあきらめた。実践の乏しさもさることながら、そういう話の仕方は、私の思考スタイルに合わないのだと気付いたからである。同時に、私を見て生徒が何を思うかは知らないが、私という人間が面白ければ、何をしていても面白くなるし、私という人間がつまらなければ、何をしていてもつまらないはずなので、私という人間の成り立ちや、学校で何かをする時の基本姿勢のような根源的な部分の話をするしかないと観念した。
 年賀状にも書いた通り、私の考えはことごとく世間と逆になる。世間にはもちろん職場も入る。仙台一高で、他の教員といかに考え方が違っていたかということは、今回、学級通信を読み直してみてもよく分かった。では、なぜ、それほどまでに発想が違ってくるのか、私の発想の原理というのはどのようになっているのか・・・。自分の経歴や、「哲学」についての理解や思いを中心にお話をした。「向上」とは言っても、目指すべき「上」を間違えてしまうと教育は害になる、本当に目指すべき「上」は何なのか?それを探し出そうというのが「哲学」であって、生徒に向かった場合は、生徒の夢・希望の実現を支援するのではなく、それを問い直すことになる。そして、そのためには、自分自身が正直で、自由であり、新鮮でなければならず、更にそのためには何が必要か・・・と、まあ、こんな話である。
 20人あまりの教員が聞きに来てくれたが、多くは具体的な方法論を期待していたかも知れない。そのような人にとっては、決して楽しい話ではなかっただろう。「タダ」の講演だと思ってあきらめてもらうほかはない。ただ、講演の中で何度も繰り返した通り、自分がしたことの価値というのは、長い時間の中でしか明らかにならないのである。唯一、今の時点で評価できるのは、きっちり90分で収めた、という点くらいだろうか?
 ところで、今回、過去の学級通信を読み直し、場合によっては、ブログで公開する時にどのような補筆をしたかを確かめようとしてみて、案外、公開していない記事も多いことに気がついた。おそらくそれらは、内部事情的な内容で、一般的価値が少ない、もしくは差し障りがあるという判断をしたものである。しかし、今にして思えば、多少なりとも一般的価値や歴史資料としての価値があると感じられ、これは公開してもよかったな、と思うものもあった。
 というわけで、明日は、それらの中から「これは」と思ったものを、今更ながらにアップすることにする。さて、何が出てくるやらお楽しみ。