今年の年賀状から

 年賀状の抽選が終わると、ああ、お正月が終わったな、と思う。今年は不作。私あての150枚ほどの年賀状で、切手シートが1枚当たっただけ。100枚で2枚というのが確率だから、分が悪い。一度1等を当ててみたい、これだけ長い間、毎年たくさんの年賀状を書いているのだから、そろそろ順番が回ってくる頃だ、と思いながら、確率計算をしてみると、当選番号が6桁の1等は100万枚に1枚だから、我が家に毎年200枚の年賀状が来るとしても、5000年に1回しか当たらないということになる。こりゃだめだ、とあっさり白旗を揚げた。
 当たり外れを調べながら、ふと、そういえば以前は、この時期の学級通信で、「今年の年賀状から」というコーナーを作り、その年の印象に残った年賀状を紹介していたことを思い出した。今年だったらどれを取り上げるだろう・・・?と思いながら、年賀状の束を見直していて、これかな?と思ったのは、次のようなものである。


「先生のお考えに全く同感です。「自分だけ、今だけ、金だけ」と考える人間がなんと多いことか。先生のおっしゃる「幼稚で、低能」な人間が道路の真ん中を歩き、思慮深く思いやりのある人が道路の端を歩いている社会は、安心できません。これも教育の成果なのでしょう。だから、教育で立て直すことが求められていると思います。どうぞこれからもCanを通して、私たちにご指導下さい。よろしくお願いいたします。」


 もちろんこの部分は手書きである。この文面のもとになっている私の年賀状は1月1日に紹介したので、そちらを見てもらうことにする(→こちら)。「Can」というのは、何の略か、あるいは単に英語の助動詞「can」なのか分からない。が、ここでは、「進学情報Can」という学習塾協会主催の中学生向け高校説明会のことである(→参考記事=一昨年のCanの時のこと)。
 実は、宮水校内の係分担の関係で、一昨年、中学生勧誘係から就職係に変わった私は、いよいよ今年度、一度も学習塾のイベントに参加しなかった。数年ぶりのことである。企画情報部という宮水の中学生勧誘係の後任に、「私が行くよ」と言えば、「来るな」とは言われないのは分かっていたが、前任者が変な口を挟むようになるのも嫌なので、あえて行かなかったのである。しかし、私は、学習塾の先生方が大好きだったので、イベントに顔を出さなかったからこそ、初めて、今年は学習塾協会の重鎮何人かに年賀状を出した。相手も驚いたかも知れない。そして、その返事の一つが上である。
 最初に驚いたのは、その表現が私よりも過激だったことである。だが、文面の端々に、なんとも良心的なものを感じないだろうか?主にそれは、世の中が変質してしまったことの責任を教育者として引き受けつつ、一方で、今後へ向けて改善の決意を述べている点にある。もちろん私には「ご指導」はできない。だが、私たち県立学校の教員よりもはるかに利益を意識していなければならないはずの立場で、本当に良心的に生徒に接している先生に敬意を表し、できる協力はしていかねば、と思う。塾であろうが学校であろうが、こういう方が教師をしている社会には、まだまだ希望が持てる。