今年の年賀状から

 一昨日、年賀はがきの抽選があった。たぶん、毎年書いていると思うが、これが終わると、「あぁ、お正月が完全に終わったのだな」と思う。
 年齢のせいだろうか、年々、喪中欠礼のはがきや寒中見舞いのはがきをもらうことが増えているようだ。今年は喪中が9枚、寒中見舞いが4枚あった。私が受け取る年賀状の1割に近い。私も既に父を亡くしているが、親を失う世代になった、ということだ。
 さて、このタイミングで、ほとんど毎年、今年受け取った年賀状の中から、特に印象的だったものを紹介していたのだが、学級通信を書かなくなって(=クラス担任から外れて)久しいということもあり(簡潔な年賀状は、学級通信サイズで書くにはいいネタだった)、そもそも、美しく印刷はされているものの、通り一遍でつまらない年賀状が増えたということもあり、少し書くのに苦慮するようになっている。まぁ、記録だと思って多少の紹介をしておこう。「 」が文面、その後の( )が私のコメント。


「昨年の私ですが、生まれて初めて重度の体調不良を経験しております。8月から10月までの3ヶ月、外出もままならない状況でした。その後遺症は色濃く残っており、体力・気力共にかなりの低下を感じています。医師の話では、疲労と老化が原因とか。改めて昭和一桁生まれを実感させられています。平成に続く次の時代は、私にとっては儲けものみたいです。」
(小学校時代の恩師W先生。ちょっとショッキングな内容。あぁ、あの先生でも年を取るんだ、誰もこの現実から逃れることはできないんだ、ということを実感させられた。またお酒がご一緒できるといいな。)


「2月の世界遺産姫路城マラソンで3時間59分34秒、念願の4時間切りを達成できました。」
(これは知人Hさんから。年齢が62歳であることを思うと、頑張ってるなぁ、負けてはいられないなぁ、という気になってくる。今年は久しぶりでフルマラソンに出てみようか。)


「風呂敷の協会を立ち上げ、食と風呂敷の講座を手がけるようになりましたが、胆振東部地震を体験し、+防災に関する視点を加えた話をすることが多くなりました。」
(「女は愛嬌」を地で行くような友人Kさん。面白いこと始めるなぁ。風呂敷の協会や食と風呂敷の講座にニーズがあるとはとても思えないが、その人柄でニーズを生み出していることが想像できる。住んでいるのは宮城県なので、いずれ一度、漫談を聞くつもりで「講座」に行ってみようかな。)


「不安を煽り、信頼関係を破壊するマスメディア、自己主張、権利を叫ぶ輩だけが取り上げられ、静かに暮らしている人たちの心がこわされるストレス社会。立ち直るには教育が最も大切だと思うが、その教育もこわされている日本。どうしたらいいのでしょうか。知よりも心を育てる柱が必要なのかもしれません(道徳ではありません)。」
(実直・誠実を体で表しているような塾講師Oさん。教育は方法論によってではなく、このような方の人格そのものによって成り立つのだと思う。もちろん、ご本人はそんなことに気が付けない。だからこそ尊い。)


 誰にとっても、今年がよい年となりますように。