大渋滞と冠水



 既に書いたと思うが、家族も自宅も無事であった我が家も、車が2台水没し、250万円余りの被害を計上した。車を捨てるいいチャンスだ、とさばさばした気持ちで居たのだが、日が経つにつれて、なしでは済まないということに気付いてきた。津波と火事とで、最寄りのスーパー等が消滅したので、買い物は今までよりも遠くまで行かなくてはならなくなったし、保育園の送り迎えはある。こうなると、もはや車を持つかどうかはポリシーとは関係のない物理的必要性なのだ、ということになる。

需要が極端なまでに膨らみ、自動車工場も被害を受けて生産量が大きく低下した結果、中古車の相場が上がり、新車も手に入りにくい中、幸いにして、車を貸してやろうという奇特な人が現れたため、そのご厚意に甘えることとし、今や我が家は震災前と同じ2台の車がある状態となっている。

 借り物を傷つけたくはないし、当初はガソリンが全く手に入らなかったので、使用は出来るだけ控えていたのだが、子供を再び保育園に通わせ始めたため、やむを得ず1台は動かすようになった。

猛烈なストレスである。とにかく渋滞がひどい。保育園経由で勤務先まで、たかだか15Kmほどを走るのに、行きも帰りも1時間10分〜20分かかる。地元民の知恵を総動員して抜け道を探してみるが、ことごとく渋滞している。なぜこれほどまでに渋滞するのか、思い当たることは以下の通りである。原因として重要だと思う順番に書く。

1:一般車に加え、おびただしい数の災害復旧車両が走っている。

2:道路のあちらこちらに、地震によるでこぼこがあり、車が不規則に徐行する。

3:地盤沈下によると思しき冠水のひどい場所が多く、満潮時には通行可能な道路が減る。

4:道端に汚泥や瓦礫、浸水で使用不能になった家財が山積みにされて、道幅が減少している。

5:ガソリン事情が好転し、一般車が容易に給油できるようになった。

6:強風の日が多い上、あまりにも埃っぽい。

 地震津波が終われば、後は復旧するだけかと思いきや、時間の経過に従って被災地の悩みの中身は変化していく。そして、その原因の中には、間違いなく今回の震災の特徴が表れている。

 特に気になるのは、「3」だ。今日遂に、宮水は津波に襲われた時以降で初めて、本校舎が床上浸水した。我が家から眺める南浜町跡地も、瓦礫の中に開かれた道路は水で光っている。大潮ということもあるのだろうが、私の実感としては、いまだに一日に2〜3cmのペースで地盤が下がり続けているような気がする。

 震災復興に関する様々な会議・機関の発足や、新しい都市計画のプランが、連日のように新聞紙上で公にされるが、どこを埋め立てて使い続け、どこをあきらめるのかというのは、地元民にとってはけっこう切羽詰まった悩みである。