「ビルを壊す」と「AIの電力消費」

 我が家から徒歩5分くらいの所にある内科医院が、昨年の秋に閉院した。私は世話になったことがないが、すぐ近くに医者がいるという安心感は大きかった。その医院が閉院したことで、私が住む鰐山(わにやま)には医院がなくなった。
 空き家が今ほど多くなかった時代、この医院は多くの人で賑わっていたのであろう。下町的な雰囲気すら漂う古い住宅地に不似合いな、入院患者も受け入れていたと思われる鉄筋コンクリート3階建て(一部4階建て?)の堂々たる建物であった。
 「あった」と書いたのは、現在取り壊し中だからである。3週間ほど前に作業が始まり、巨大な重機を2台使って、あっという間に建物が姿を消し、今や基礎の一部が残るだけになってしまった。重機の作業能力はすさまじい。
 毎日、通勤の途上で作業の進み具合を見ながら、この建物を手作業で壊すとしたらどれほどの時間が必要かな?などと想像していた。いや、そもそも、ツルハシやタガネでこのビルを壊すというのが可能なのかな?この程度のビルでさえ・・・である。
 どうしてそんなバカな想像をするかといえば、何しろ私のことなので、常に二酸化炭素の排出量を気にしているからである。二酸化炭素の排出源として非常に大きなセメント作りに始まって、医院のビルを建てるには大量の二酸化炭素が放出されたはずだ。役目を終えて解体される時にも、再び多くの二酸化炭素を出す。文明というのは文明によってしか解決されないとすれば、文明は自然に対して二重のダメージを与えることが、最初の時点で分かっているということなのだ。
 
 6月11日の朝日新聞を読んでいてショックを受けた。見出しは「AI普及で電力需要爆発?」というものである。グーグル検索1回で消費される電力が0.3kwhなのに対して、チャットGPTに1回質問すると2.9kwhの電力が消費される。現在のグーグル検索が全てチャットGPTに置き換わると、100万kwの原発1基分以上の電力が新たに消費されるようになるらしい。
 その電力消費を減らすには、AIの計算に特化した半導体の開発や、「光電融合」なる技術の開発が不可欠だという。記事は、技術革新によってAIによる電力消費量を現在の6万分の1程度まで減らせる可能性があるという専門家の談話を紹介する。しかし、それはあくまでも「可能性」である。本当に出来るかも、いつ出来るかも分からない。そんな可能性を口にしているうちに、人間はただの願望や可能性を現実と誤認するようになっていくものなのではないか?
 リニア新幹線といい、電気自動車といい、AIといい、エネルギーを消費する方向に進むものばかりが増え、減らす方向に進む話はほとんどない。そもそも、減らそう、減らさなければという意欲もまったく感じられない。
 文明はまるで自己増殖するかのように大きくなり、それに伴って消費が増える。ただ、やっぱり私にとって不思議なのは、人がそのことに何の危機感も感じていないことだ。今日は、石巻でも真夏日になったらしいが、湿度がさほど高くないので、それほど暑いとは思わなかった。しかし、既に教室のエアコンは作動し、テレビでは「熱中症対策のために、冷房を適度に利用しましょう」と呼びかけている。
 「適度」がどれくらいかは知らない。しかし、身の回りを見ていると節度は期待できない。少しでも「暑い」と感じた時には、「せっかくエアコンあるんだから使おうよ」という声が必ず出るからである。法律で禁じられておらず、お金が払えることは全てやっていいことなのだ。それが世の中の規準である。間違いだ。