「正しい」解散

 欧州議会で、右翼的政党が躍進したというニュースは、各所で大きく報道されている。私にはよく分かっていないのだが、「右翼」とは、「自国第一主義」を訴え、移民の受け入れに批判的だという点に、その特徴がよく表れているらしい。
 そんな中、フランスのマクロン大統領が国民議会(下院)を解散した。欧州議会選挙で、自らが率いる与党連合が、ルペン氏率いる国民連合(RN)の半分の得票数しか得られなかったことに危機感を感じたからだ、という。
 このまま右派政党が勢力を伸ばすことは非常に危険だ、下院選挙を通してそのことを訴え、右傾化の流れを食い止めたい。そんな思いがあるようだ。しかし、マクロン政権の支持率は30%前後で推移しており、下院選挙で勝てる保証がないどころか、惨敗する可能性すらある。多くの報道は、マクロン氏が「賭け」に出た、と書き立てる。
 私は、マクロン氏を「偉い」と思う。「解散」は正に政治的決断だ。どこかの国のように、政策などはどうでもよく、自分たちにとって都合のよい、つまりは自分たちが勝てそうなタイミングを狙って、形式的な大義名分の下に「解散権」を使うのとは大違いである。現状の是非を国民に問いかけ、できれば自分の政治信条への共感者を増やしたい、それが上手くいかず、欧州議会と同じように自分たちの勢力を減ずることになったとしても、それが国民の意思であるならば仕方がない。国民に向かって、「あなたたちはどこへ向かいたいのか?」と突きつける。これこそが「信を問う」ことであり、正しい解散権の使い方だ。
 私自身は、右がいいとも左がいいとも言えない。アフリカや中東から押し寄せる難民に、ヨーロッパが手を焼いているのは知っている。人々が難民化する原因(問題)は自国の中で解決させるべきであって、自国が混乱しているから難民として海外に出る、という選択がいいとも思わない。しかし、武器を供与したり、政治的対立の中で自分にとって都合のいい側に肩入れするなどして、ヨーロッパが紛争を煽ってきたという経緯がある場合もある。そんな大国の思惑の犠牲として、一般庶民が難民として国外逃亡するしか他に仕方がない、というのも確かだ。「自国第一主義」とは言っても、他国を犠牲にして自国の平和と繁栄を実現させるのはナシだ。こんな思いが無秩序に湧き起こってくるから判断がつかないのだ。
 ウクライナ、いや、それ以上にパレスチナを見ていれば、欧米が結局「正義」とは関係なく、「仲間」を大切にしているだけだということ、あるいは、自国の勢力を拡大することで自分たちを守ろうとしているだけだということが見えてくる。そこから抜け出て、「正義」を目指さなければ、結局、仲間以外からの「信頼」は得られず、永久に力勝負を続けなければならなくなるのに、である。この場合の「正義」とは、全ての人(できれば将来に生きる人も含めて)を等しく尊重するということである。
 さて、フランスの下院選挙はどうなるだろうか?おそらく、その結果は他のヨーロッパ諸国に大きな影響を与えるだろう。いや、日本も決して無縁であるとは言えない。最終投票日は7月7日。しっかりと見守ることにしよう。