自作自演の茶番劇

 あと1週間で通常国会が閉会する。政治資金規正法の改正問題が焦眉の課題だという。アホくさいのう、と思う。他に多くの法案が提出されているはずなのに、それらについての報道はほとんどない。
 自民党の裏金問題に端を発して、それを再発させないための法規制をどうすべきか、という話なんて、原因を作った本人たちが、法改正へ向けてドタバタしているわけだから、、これはある種の自作自演の茶番劇である。そんなことのために、1日あたり3億円以上とも言われる国会経費(議員の歳費まで含めた国会運営費の総額を日割りした時の額)が消費されていくことに、言いようのない腹立たしさを覚える。
 しかも、自民党の改正案など、多くの野党が言うとおりザル法である。だいたい、政策活動費の明細公開が10年後とは信じがたい。しかも、現時点で詳細が明確化されていないので、10年後に領収書が黒塗りで出てくる可能性も排除できないらしい。そもそも、黒塗りがなかったとしても、10年後に詳細が公開された時、問題が発見されたとして何が出来るだろう?「問題はありますが、今更どうしようもないですね・・・チャンチャン」にしかならないではないか。
 主に自民党の重鎮は、「政治には金がかかる」と繰り返す。政治家になったことのない私には、何にお金がかかるのかよく分からない。様々な調査をするために秘書をたくさん雇わなければならないというような理屈なら理解できる。しかし、そんな費用なら隠す必要もない。外交や防衛に関することなど、国会議員が握っている情報には機密性の高いものもあるだろう。しかし、公開しろと言っているのは情報それ自体ではない。たとえ機密性の高い情報であったとしても、それを調査するための経費なら、公開しても何の不都合もないのではないか?
 パーティー券購入や献金をしたことについての名前の公開は、限度額を下げることに何の意味があるのか分からない。小分けにすることになるだけであって、賄賂性のある金の動きを抑制することにはならないだろう。企業・団体献金を禁止しても、それが個人名義になるだけだとも思う。
 以前も少し書いたことがあるが、金権政治をなくすために、巨額の政党交付金が支給されるようになったからには、献金類はみな禁止というのが当然だろう、と私は思っている。一方で、主権者である国民が、自分の政治的信条に基づく行為として、政治家に資金を提供するのは許されて当然だ、という思いもあって、その辺についてはどうしていいか分からない。
 結局のところ、絶対に悪いことが行われないように法の網の目を小さくしても、法の精神というものがしっかりと理解され、それを守ろうという意識がなければ、どうにもならないのだ。逆に、法の精神が理解され、守ろうという意識があれば、法律などザルであっても一向に困らないのだ。
 会期末までに改正政治資金規正法が可決したとしても、今の議論を聞いている限り、政治と金の関係はほとんど何も変わらないだろう。それは自民党の体質そのものだからだ。そして、それが支持を集めているということは、日本人の気質がそのようなものだということに違いない。
 岡目八目とも言うとおり、人間は、自分のことがよく見えない。しかし、今の政治家たちの動きを真面目に見さえすれば、その醜さは嫌でも見えて来る。そしてそれは、自分達を写す鏡である。