ガウディ計画

 土曜日の夜「新プロジェクトX」というNHKの番組を見た。「ブラタモリ」の後に、同じ時間帯で始まった番組である。「ブラタモリ」は毎週必ず見て、録画してもいたのだが、「新プロジェクトX」は毎回見ているわけではなく、録画も取っていない。昔の「プロジェクトX」の時以来、時々見てはいるものの、筋立てがワンパターンだというのと、いかにも作られた物語だという気がして、私の評価はさほど高くない。先週は、医療器具メーカーが登場するようだったので、見てみようかという気になった。宇宙と医療は、その求められる性能の極端なまでの高さ故に、面白い可能性が高いのである。
 取り上げられていたのは、子どもの心臓外科手術で使うパッチの製造会社だ。成長と共に心臓が大きくなることで、パッチの交換手術をする必要があり、それが患者にとって大きな負担になっている、伸びる素材でパッチを作れば、手術を繰り返す必要がなくなる。それが開発の目的だ。もちろん、会社が独自にそんな問題意識を持つわけがない。患者負担の軽減ということに切実な問題意識を持つ心臓外科医による訴えがあっての開発だ。
 今回の番組も、従来の「プロジェクトX」と同じ傾向を持つ、決して出来のいい番組ではなかったのだが、テレビを見ながら、妻が「これって池井戸潤の小説に出て来た会社じゃない?」言い出した。私も池井戸潤下町ロケット』という小説は読んでいて、あまりに面白かったものだから、感想文めいたものも書いた。このブログにある(→こちら)。しかし、そんなことは完全に忘れていた。そもそも、『下町ロケット』に、ロケット部品以外のものが出てくることすら、ほとんど忘れてしまっていたのである。
 ぽかんとしている私のために、妻は自分の書架をあさり、4冊の『下町ロケット』を探し出してきた。そしてパラパラとページをめくると、「あ、これこれ」と言って、『下町ロケット2 ガウディ計画』を差し出した。
 たまたま、公私それぞれの仕事が一段落し、谷間とも言うべき時間に余裕のある時期を過ごしていた私は、週末を職場で借りてきた宮島未奈『成瀬は天下を取りにいく』(新潮社=2024年本屋大賞受賞作)と『ガウディ計画』を読むのに費やすことにした。そして、「費やすことにした」というような主体的なものではなく、本に操られるかのように、それらに没頭する2日間を過ごすことになってしまった。
 『ガウディ計画』は、パッチではなく小児用の人工弁を開発するプロジェクトである。その点を別にすれば、確かに番組と小説はよく重なり合う。会社名も小説(虚構)が「桜田タテアミ」で、番組(事実)は「福井経編興業(フクイタテアミ)」だ。「タテアミ」というのは得体の知れない名前だが、会社名で分かるとおり、漢字では「経編」と書き、糸を縦方向に編んでいく技術だそうである。ネットで探してみると、「経編」とは何ぞや、「経編」と「緯編(ヨコアミ)」がどのように違うかといった詳しい解説をいくつか探すことが出来る。信じられないほど複雑かつデリケートで奥の深い世界に見える。
 まぁ、それはともかく、『ガウディ計画』があまりにも面白かったものだから、その勢いで『下町ロケット』の第3巻に相当する、『ゴースト』も読んでしまった。池井戸潤もしくは『下町ロケット』についての私の評価は、前回(=上にリンクを張った記事)とまったく変わらなかった。まったく現代の「水戸黄門」だ。善良で誠実な人間が、権謀術数を駆使する欲深い人間に最後は勝利する。分かりきっていてもやはり得られる痛快感、安心感は絶大だ。
 だが、それはあくまでも小説の中だから起きることだ。現実は、そんなに上手くいくものではない。確かに、悪との戦いということから言えばそうだろう。しかし、「新プロジェクトX」を見ていると、患者のことを思い、最初は出来そうになかった物作りを実現させるという部分についてなら、番組の話も小説の話も同じなのだ、ということに気付く。もうけたいという欲ではなく、患者の喜ぶ顔、元気になった姿を見たいという思いが、その困難な開発を支えている。あぁ、確かに「仕事」とはそのようなものなのだ、という思いがこみ上げていくる。頭の中で、『下町ロケット』と「新プロジェクトX」とが渾然一体のものになってくる。