「延安」旅行案内(1)・・・序と概況



 多少なりとも中国の現代史を知る人間にとって、「延安」という町は非常に有名で、しかも一種独特の感慨を催させる響きを持っている。

 中国は、外国人の自由旅行を長く許可していなかった。個人旅行が可能になったのは1985年頃ではなかったかと思うが、その後も「開放都市」として国が指定した町以外に立ち入ることは出来ず、交通機関、宿泊、観光地の入場料などに、中国人の3倍以上という高い外国人料金が設定されていた。

 しかし、開放都市は増え続け、今や、普通の(=チベットのような特殊な政治的事情のある場所以外、ということ)町の多くは開放都市に指定され、よほど特殊な場所でない限り、自分の行こうとしている町が指定されているかどうかをいちいち調べる必要はなくなっている。悪名高き外国人料金も、1996年に廃止された。

 中国が世界の工場となり、中国に工場を持つ日本企業も増え、観光と言わずビジネスと言わず、多くの人が行き来するようになったのに、なぜか延安が注目されることはなかった。そしてつい最近、『地球の歩き方』というポピュラーな旅行ガイドに、ようやく「延安」のページが現れた。それでも、たった4ページの簡略なものであり、現代中国の原点であることを強く意識しながら訪ねる人しかいるわけがないのに、「革命聖地」としての見所については、あまりにも一般的、表面的な記述に止まっている。

(中国では、延安専用のガイドブックが出版されている。私が入手したのは張連義『紅色延安』とカク宏志『歴史文化名城 延安』(どちらも陝西旅游出版社刊)の2冊である。前者は大判の割に軽いし、カラー写真が美しく、読み物としても面白いが、場所別ではなく、出来事別に話が整理されていて、索引も付いていないので、自分が訪ねようとしている場所について調べる場合には具合が悪い。後者は、いかにもガイドブックといった作りで、面白味には欠けるが、場所別に整理されているので使いやすい。他に、『延安市街区交通旅游地図』(西安地図出版社)を併用する。市街地図とは言っても、革命旧址の観光地というだけあって、革命旧址はかなり丁寧に拾ってある。)

 というわけで、どこかの日本人好事家のために、「延安旅行案内」を連載しておくことにしたのであるが、帰国してから既に2週間、なぜ手を付けないままに時を過ごしていたかというと、日本から持っていった『中国の赤い星』を始めとする若干の書籍、現地で入手した書籍類を、延安を離れ北京に移動する直前、その重さに耐えかねて延安の郵便局から日本に送ってしまったからである。しかも、お金をけちった結果「船便」なので、当分届きそうにない(局では1ヶ月半と言われた)。

 それでも、とりあえず、それらの本が届かなくても書ける部分だけを書いておくことにする。その後はしばらく時間が空くことになるだろう。


 延安は川に沿って発達した町である。「延河」が北西から流れて来て、街の中心、延河大橋の所で、流れを北東に変える。この向きの変わる所で、南から南川河が流入する。つまり、約120度の中心角で、川がY字型に流れており、その合流点を中心として街が発達しているのである。当然、街は三つの部分に分かれている。最も繁華なのは南西(ここが昔の城内)で、次が北、南東はだらだらとウナギの寝床のように細長く、延安駅の少し南まで町並みが続いているが、繁華街というようなものではない。そのひとつひとつの部分の背後に山がある。北に清涼山、南東に宝塔山、南西に鳳凰山だ。どの山にもしっかりとした道がついていて上ることが出来る。街はこれらの山と川に挟まれた狭い平坦地と斜面に、無理矢理ねじ込むように作られている。

 川は黄河と同様、黄土高原特有の泥川だ。夏だからかも知れないが、流量はいたって少ない。南川河に至っては、気息奄々、流れは消滅の一歩手前、という感じだった。過去の延安を記録した映像では、清涼山の麓で水泳、けっこうな高さから飛び込みなどしていたりするので、昔はかなり深かったのかも知れない。しかし、水が澄んでいたとは考えられない。あの川で泳ぐのは勇気がいる。私は嫌だ。

 延安の駅は南川河沿い、中心から約4.5キロ南に離れた所にある。斜め向かいが南バスターミナルで、西安からのバスはここに着く。街の中心までは、バスで15分ほどだ。延安の市内バスは、1回1元(13円)の均一料金である。

 『紅色延安』によれば、共産党中央が移ってきた1937年には、人口わずか1000人だったという延安も、『地球の歩き方』によれば、今や220万人を超える大都市となっている。高層建築が立ち並んでいるため、その中に立つと、周りの景観が見えにくい。当時の文献を読んでいると、誰もが語る延安の象徴は宝塔山の上に立つ「宝塔」で、これはどこからでも見えたというが、今は延河大橋界隈まで来て川沿いに立って初めて見ることが出来る。宝塔を目にした瞬間、延安に来たのだという実感がわき起こってくる。(続く)