恵那の夜・・・「いい仲間」が最高の肴



 NIE(Newspaper in education )の全国大会というものがあって、福井まで行って来た。大会は30〜31日だったのだが、家を出たのは28日(土)である。ちょっとした縁があって、震災後の被災地の様子や教訓を話して欲しいと、岐阜県恵那市大井町町づくり協議会というところから頼まれた。そこで、「7月末に福井に行く用事があります、その直前に寄り道しましょう」と、引き受けていたのである。

 28日の午後、町の人々約50人に1時間半ほど話をすると、その夜は、私のために宴席を設けてくださった。この宴席については、事前に話があり、「恵那で獲れた鮎を塩焼きにするので食べていただきたい」という結構な申し出もいただいていた。

 その一方で、「先生の好物を教えて下さい」という質問もいただいた。私は、「好物が何かよく分かりません。気にしないで下さい。あえて言えば、「いい仲間」が最高の肴です」と回答した。即座に返信があった。簡潔に「仲間はいっぱいいます。結構お歳を召していますが、素敵な方々です」とだけ書いてあった。このメールはなかなかのインパクトだった。愉快な恵那訪問になると、私は確信することができた。

 すぐ近くの多治見市が、二日続けて全国の最高気温を記録したとかで、30度にもならない石巻から行った身には、甚だこたえる暑さだった。宴会の場所は、自分たちで町の文化遺産として整備した行在所(あんざいしょ=明治13年に明治天皇がお泊りになった屋敷)という思い入れも由緒も並々でない場所である。ところが、ここにはエアコンがない。加えて、鮎を焼くために、なんと囲炉裏に炭火がかっかと燃えていた。まるで「我慢比べ大会」の趣であった。

 にもかかわらず、宴会は楽しかった。なるほど、「いい仲間」を求めた私に、自信満々の返信があるわけだ。上は82歳から、下は30台半ばまで、集まった10人あまりの人たちは、みんな飛びきり素敵な笑顔の持ち主だった。変な損得の勘定などなく、何もかもさらけ出して付き合っている人たちなのだ、ということが強く感じられた。それこそが、あの笑顔を生んでいるのだろう。「桃源郷」という言葉が頭をよぎった。

 行在所は、中山道の大井宿という宿場の真ん中にある。周りにも古めかしい建物が多い。町並みが古めかしいように、人と人との関わりも古風である。だが、それは決して「古くさい」のではない。人間社会の原点、あるべき姿を見せてもらった思いがした。