『春の祭典』よりも『屋根の上の牛』



 仙台フィル定期演奏会に行った。常任指揮者パスカル・ヴェロの指揮、チャイコフスキー白鳥の湖』からヴェロによる抜粋、ミヨーのバレエ音楽屋根の上の牛』、ストラヴィンスキー春の祭典』というプログラムである。私の目当ては第1に『春の祭典』、第2にミヨーであった。

 『春の祭典』という曲は、オーケストラというものの機能と面白さを極めた音楽で、これがうまく演奏されると、正にオーケストラの快感に酔いしれることが出来る。演奏者もプロとなれば、楽譜通りに音を並べることが出来るというのは音楽の前提に過ぎず、その上で、どれだけそこに表れた人間の本質のようなものを表現できるかが勝負となるに違いない。しかし、私のような素人が楽譜を見ていると、そのめまぐるしいリズム・拍子の変化と、分厚く細かい音の重なりに頭がくらくらしてくる。これを書いた人、これを音楽として再構成できる人の能力というものには心底頭が下がる。それだけで十分に感動的だ。

 しかし、今日の『春の祭典』は、残念ながら極めて平凡な駄演であった。煮え切らないと言うべきか、オーケストラがこの曲を自分のものにしていないと言うべきか・・・ひどく思い切りの悪い演奏であった。「楽譜通りに音を並べる」というレベルで少々不満。指揮者を始め、演奏者は本当に疲れるだろうなぁ、という思いだけしか残らなかった。

 今日、最も楽しめたのはミヨーであった。実は、私はこの作曲家もけっこう好きである。フランスという国は、言語を筆頭に、何かと性の合わない国であるが、ベルリオーズ、フランク、ドビュッシー、ラベル、サン・サーンス、サティ、シャブリエイベールなどといった作曲家の名前を思い浮かべてみると、本当に個性的で面白い国だな、と思う。

 「けっこう好き」とは書いたものの、さほど多くの曲を知っているわけではない。今日の『屋根の上の牛』も未知の曲であった。プログラムノートによれば、ジャン・コクトーのシナリオによる奇想天外でコミカルなバレエのための音楽として発表されたが、本当は音楽が先で、それにコクトーがシナリオを付けたらしい。いかにもミヨーらしい、明るい音楽と、その滑稽なバレエの内容とがよく合っているようだ。弦を中心に演奏される強いリズムのラテン系の音楽の背後で、管が動物の鳴き声のようなモチーフを奏でる。あまり上手すぎない管の音が、かえって動物の鳴き声らしくて曲の中でよく生きている。楽しい15分であった。