ロト=シエクルの「春の祭典」(2)

 「レ・シエクル」というのはフランス語で、英語に直せば「The period」、すなわち「正にその時代」というような意味で、このオーケストラが、曲が作られ発表された時の演奏を再現するという理念を持って作られたことをよく物語っている。この本「ピリオド楽器から迫るオーケストラ読本」を読んで、特に心引かれたのはストラビンスキーの「春の祭典」だ。最近、家の中に物、特に本とCDが増えすぎたので、できるだけ新しい買い物をしないようにしていたのだが、2月の半ば、仙台に出かけた際に「春の祭典ペトルーシュカ」(2014年度レコード・アカデミー賞受賞作)とベルリオーズ幻想交響曲」の2枚を買ってしまった。とりあえず、今回は「春の祭典」を問題にする。
 ストラビンスキーはロシア人だが、彼のバレエ三部作と言われる「火の鳥」(1910年)、「ペトルーシカ」(1911年)、「春の祭典」(2013年)は全てフランス・パリで初演されている。それは、ロシア・バレエ団のパリ公演用に依頼されたことと、パリのオーケストラが世界の最高水準にあったことによっている。そのため、技術的に難しく、特に「春の祭典」は、オーケストラに巨大な編成が必要で、めまぐるしく拍子が変わり、格別の難曲としてよく知られる。 あまりにも斬新なアイデアに満たされた、当時としては奇抜な曲だったために、初演の際は会場が大混乱に陥った、というのも有名な話だ。Wikipediaでは「曲が始まると、嘲笑の声が上がり始めた。野次がひどくなるにつれ、賛成派と反対派の観客達がお互いを罵り合い、殴り合い、野次や足踏みなどで音楽がほとんど聞こえなくなり、ついにはニジンスキー自らが舞台袖から拍子を数えてダンサーたちに合図しなければならないほどであった。ディアギレフは照明の点滅を指示し、劇場オーナーのアストゥリュクが観客に対して「とにかく最後まで聴いて下さい」と叫んだほどだった。サン=サーンスは冒頭のファゴットのフレーズを聴いた段階で「楽器の使い方を知らない者の曲は聞きたくない」といって席を立ったと伝えられる」と書いている。
 ロト=シエクルは、この「春の祭典」の初演を復元しようとした。たかだか100年前とは言え、それは大きく分けて二つの点で困難な作業だった。
 ひとつは楽譜の問題である。ストラビンスキーが初演後、「難しすぎる」という演奏者からの声に応じる形で改訂を繰り返したこともあり(「春の祭典」が演奏される時、「~年版」などと書かれていないので、実は、改訂が繰り返されたということも、私は今回この本を読んで初めて知った)、初演の時にどのような楽譜が使われたのかを明らかにすることは容易ではない。ロトは「春の祭典」の研究に生涯をかけた音楽学者ルイ・シールの全面的なバックアップのもと、自筆譜をベースに、初演時の指揮者ピエール・モントゥー所蔵の楽譜や1921年に出版された印刷譜の初版を使って、初演時の楽譜を推定したようだ。あくまでも「推定」である。CDの解説書には「ロト自身の判断によると思われる箇所も聴かれ、厳密に初演と同じとは断言できない」と書かれている。
 そしてもうひとつは、言うまでもなく楽器の問題だ。当時は楽器にも地方色が豊かで、当然パリではフランス式の楽器が使われていたのだが、第2次世界大戦後、グローバル化の中で、その伝統を守り続けることが困難になってくる。1939年にロンドンで開かれた国際標準音会議でA=440Hzが国際標準音として決められ、A=435Hzのフランス式楽器が対応できないままに、アメリカやドイツ製の楽器に取って代わられてしまった、ということらしい。ロトのみならず、シエクルのメンバーは、スイスのスポンサーの援助を受けながら、世界中から古い楽器を集めてきた。CDの解説書には、巻末に「レ・シエクル」のメンバーの名前を載せるが、管楽器と打楽器奏者については、使用した楽器も書かれている。これは、どんな楽器を使ったかということが大きな意味を持つことを物語ると同時に、楽器の収拾に大きなエネルギーを費やしたことによって生まれた思い入れの強さをも表しているのではないか。コントラバソン(フランス式のコントラファゴット)奏者がなぜか3人(現在普通に使われている楽譜=1967年版によれば、必要なのは1人だけのはず)書かれているが、そのうちの1人が使っている楽器は、実際に「春の祭典」初演で使われた物らしい。(続く)