宮大工と船大工・・・佐藤造船所その後



 時間が少し戻って26日の話である。石巻は、今月すでに2回目の真冬日。おまけに1日中強い西風が吹いて、本当に寒い1日だった。

 昼下がり、例の(←『それゆけ、水産高校!』63ページ参照)佐藤造船所へ行った。用事が済むと、佐藤さん(弟)が、「せっかくだから中を見ていきませんか?」と言って下さった。私は、喜んで見せていただくことにした。造船所の建物の中に入るのは初めてである。入り口を開けて中を覗いたことはあるのだが、実は、建物の中で佐藤さん(兄)が熊のように大きなシェパードを飼っているので、犬があまり好きではない私にとっては、非常に恐ろしい場所だったのである。

 入れていただいた建物は、巨大な空間だった。しかも、ただの長方形かと思っていたら、L字型にのびた奥の部分もある。3m以上の津波に襲われ、壁も全てぶち抜かれ、道具類も散乱し、大量の泥をかぶった。30人以上のボランティアの方々の懸命の努力もあって、ようやく現状程度に回復したが、使い物にならなくなった道具類も多く、なかなか見通しが立たない、とのことである。

 本に書いたとおり、近年船の新造は行っておらず、小型船のメインテナンスが中心だそうだが、昨日見せてもらったのは、むしろ、佐藤さんが自分自身の勉強のために、仕事が終わった後で毎日1時間2時間と時間を費やして作ってきたという木造船だ。それらの多くは、2階、3階に置いてあったので、被災は免れた。本当に勉強熱心な方で、お金にもならないのに、洋式、和式それぞれの木造船や、カヌー、スピードボートなどを試作し、船の構造や歴史を勉強しているらしい。

 それらだけでも十分楽しいのだが、私が殊更に引き付けられたのは、洋式木造船のすぐ脇に置いてあった道具箱に手斧(ちょうな、ちょんな)を発見した時からだ。

 一昨日、私は奈良に行くに当たって、宮大工(=建築技術)に関する本を何冊か読んだ旨書いた。そこには、1000年以上昔の大工道具として、今では「あまり」もしくは「全然」使われない何種類かの道具が登場する。例えば「槍ガンナ」、「手斧」そして「和釘」とそれを打つための「鐔(つば)ノミ」といったような物だ。「手斧」は絶滅したわけではないが、今の普通の大工さんの道具箱には絶対にない。私はその実物に出会って興奮した。

 こんなものを見て喜ぶ素人は珍しいだろう。佐藤さんにも意外だったはずである。被災して刃がすっかり錆びてしまったと残念そうに言いながらも、道具箱の中身を全て取り出して見せてくれた。

 私は再び「あっ!」と声を上げた。次に驚いたのは、「鐔ノミ」である。和釘という細長い四角錐の釘を打つために、木に穴を開ける道具だ。佐藤さんは笑いながら、「こんなのもありますよ」と言って、曲がった鐔ノミを手に取った。私は、佐藤さんが手に取る前からその存在に気付いていたのだが、被災した道具だと言うから、流された時に曲がってしまったのだろうと思ったのだが、そうではなかった。曲がった鐔ノミは私の知識にはない。

 「だけどこれは、本当に他の大工さんが使っていた物と同じですかねぇ?」と佐藤さんに言われてよく見ると、私が写真で見て知っていた断面が正方形のノミではなく、薄い長方形である。これを使って打つのは、和釘ではなく、「舟釘(ふなくぎ)」だそうである。

 こうなると、次には「舟釘」を見せていただかないわけにはいかない。全ての船がFRPになっている現在、釘やボルト、リベット(木にリベットを使うのも、私は初めて見た!)を使う機会なんてないはずなのに、造船所の一番奥の二階に、おびただしい種類と数の釘、ボルト、リベットがサイズと材質ごとに整理されて置かれていた。

 舟釘は、和釘を縦に半分に割ったような、正にくさびのような薄い鉄の釘だった。木をつなぐ理屈は和釘と同じで、現在普通に使われている洋釘のように、頭で木を押さえるのではなく、釘全体で押さえつけるので、頭が錆びれば接合力が落ちるということはない。全体に分厚く亜鉛メッキが施されているため、どのような鉄で作られているのかは分からなかったが、私が鉄の質を問題にすると、佐藤さんも同じ問題意識を持っていたらしく、鉄は古いものでなければ駄目だと言う。尾道あたりでは、もしかすると昔からの製法で作られた鉄の釘を手に入れられるかも知れない、とも言う。では、尾道くらいなら問い合わせればいいではないかと思うが、佐藤さんの思いは更に一段上を行っていた。

 佐藤さんは、なんと自分で鉄(釘)を作ることを考え、今ではなかなか入手困難な鞴(ふいご)を手に入れ、加美だか小野田だか(どちらも宮城県西部にある地名)にいる刀鍛冶のところに見学に行ったのだそうだ。ところが、その後、作業が本格化しないままに被災した。貴重な鞴も見せていただいたが、これまた道具としてはなかなか面白いものである。

 その後、舟釘(曲がった舟釘も)をどのような所で使うかなど、実際に作った(作りかけていた)木造船を前に、あれこれ教えていただいた。何もかも津波をかぶってしまった(ただし流失は免れた)上、棟梁(佐藤さんのお父さん)が仙台市内の見なし仮設に転居してしまったので、技術指導を受けられる機会がほとんどなくなり、作業がどれだけ続けられるかは見通しが立たない、と言う。

 それにしても、奈良時代の道具を復元し、当時の技術で寺の堂塔を作ろうという宮大工の道具と、船大工の道具がこれだけの共通点を持っているというのは面白い発見だった。しかも、たまたま佐藤さんのような向学心に満ちた人だからそれらを所有していたとは言っても、現在主流のFRPによる船など、たかだか40年ほどの歴史しかなく、それ以前は木造船を作る技術が普通に残っていたはずだから、船の世界は建築の世界よりも、最近まで昔ながらの道具を伝えていたということになる(ただし、建築の世界で手斧や鐔ノミがいつまで使われていたのかはよく分からない)。ネットでいくつかのサイトを見てみると、鐔ノミは、船大工との関連で語られることが多い。より直接に命がかかっているものを作るからこそ、打つのが格段に面倒であるにもかかわらず、このような接合力の高い、多少傷んでも接合力の落ちにくい釘が珍重されたのだろう。逆に言えば、建築の世界では、船に比べれば(あくまでも船に比べれば)命がかかっているという緊張がなく、ごまかしも効きやすい、その結果、より簡便な方法を求めて一部の道具(=技術)が早く衰退してしまったのではないか?

 寄り道と妄想が過ぎたかも知れない。

 学校に戻る時間を気にしながら、1時間で案内していただいたが、この次はぜひ、作業をしている所を横で見ながら、いろいろな話を聞きたいものだと思った。

 このブログも今年は今日でおしまい。よい新年を!