大三島と瀬戸内海・・・四国旅行(7)

 いろいろと公私ともに忙しい。四国の話がこれ以上続くのもだらだらした感じでよくないので、高知以降についてざっと書いて終わりにする。

 四国は鉄道ファンにとって比較的面白い場所である。なにしろ、日本で唯一運行されている寝台列車は乗り入れているし、新幹線という悪魔が来ていないため、列車が変化に富んでいる。スイッチバックもループトンネルもある。加えて、これは私としてはあまり歓迎しないが、いかにもマニア受けを狙ったとおぼしき面白列車も走っている。
 12月26日は午前中が雨だった。ちょうどこの時間帯が私達の移動時間だったのは幸いだった。高知から土讃線の特急で窪川へ、窪川から予土線普通列車宇和島へ、宇和島から予讃本線の特急で松山へと移動した。のんびりと列車の窓から眺める四国の山野の風景は美しかった。予土線には、上に書いた「面白列車」のひとつだが、昔の東海道新幹線0系を模したとおぼしき列車や、「カッパうようよ号」と名付けられ、それらしきペインティングを施した列車が走っている。車内には0系時代の新幹線座席が設置されたり、鉄道模型が展示されていたり、たくさんのカッパのフィギュアが飾られていたり、といった具合だ。途中、江川崎の駅で30分近く停車する。すれ違いの列車が到着した後もしばらく止まっているのを見ると、いったい何のための長時間停車なのか分からない。仕方がないから、何もない駅前をぶらぶらする。江川崎の一つ前で「半家(はげ)」という駅があったのを見て、息子が大笑いしてたところ、江川崎の駅では「半家」駅の駅名看板のミニチュアを売っていた。商売っ気満点である。
 宇和島は、宮城県民にとっては親しい町である。伊達政宗庶子宇和島藩の藩主となったからだ。現存する木造12天守のひとつでもある。天守閣はささやかなもので、さほど見物の価値があるとは思わなかったが、本丸に至る古びた階段は古城の趣があってよかった。
 山を下りて、商店街を抜け、もう一度山に登ったところに闘牛場がある。スペインの闘牛とは違い、牛と牛とが戦う場所だ。年に何度かしか行われないイベントなので、私達が訪ねた時には何も行われていなかったが、建物の中には自由に入れるし、私達以外に見物客がいたわけでもないのに、闘牛の記録ビデオは上映しているので、異文化を知るという意味ではそれなりに面白かった。もちろん、動物を人間の趣味のために戦わせるわけだから、それを全面的に肯定するわけにはいかないのだが・・・。
 松山までは特急列車で1時間あまりなので、その日のうちに移動する。翌日は今治方面だ。今治城は、鉄筋コンクリートの復元とはいえ、城郭建築の名手・藤堂高虎の代表作とあって、たいへん美しい。元の形に忠実かどうかは、それが「今治城」を名乗る以上は重要だと思うが、コンクリートか木造かというのが、あまり意味のあることには思えなくなってくる。
 その後、瀬戸大橋を渡って大三島へと向かった。ここは、我が子の訪問したい先ナンバーツーであった。何があるかというと、大山祇(おおやまづみ)神社という神社があり、そこの宝物館には、日本にひとつしかないという女性用の甲冑というものが収蔵されている。娘がそれを見たいらしいのだ。鶴姫という人が使っていたもので、この姫は、愛する男が戦死した後、自ら先頭に立って戦い、自軍に勝利をもたらすと、瀬戸内海に身投げして後追い自殺をする(「鶴姫伝説」)。そんな鶴姫に関する物語も、娘の乙女心を刺激するらしい。
 調べてみれば、この大山祇神社の宝物館というのはすごいところである。『しまなみ街道観光マップ』なるものを見ると、「全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の約8割が収蔵、展示されています」と書かれている。これはびっくり仰天。よりによってこんな所になぜ?と普通は思うだろう。
 だが、私にはぜんぜん興味関心がないのだな。興味がないといえば嘘なのだが、今まで数多くの博物館という所に行ってきて、よほどでない限り記憶というのが残らない、記憶に残らなくても、それが「何か」になっているということはないわけではないのだが、やはりそれが自分の人生に何かの意味を持つようには思えない。
 訪ねてみれば、宝物館の入館料は1000円だ。私はがぜん見学しないことにした。神社の周りの野山を散策していた方が気持ちよく、面白い発見がありそうだった。大山祇神社の建物も、大きくはないが、奥ゆかしく格調の高いものだし、境内にはりっぱな楠が生えていて感動的だ。
 子ども達は入館し、頬を紅潮させて出てきた。感動したそうだ。よかったよかった。
 今回、四国に渡る時、宇高連絡船(昔、岡山県の宇野と香川県の高松を結んでいた国鉄の船)世代である私は、初めて瀬戸大橋(児島・坂出ルート)というものを通った。そして、大三島に渡る時、初めて車で渡った(今治尾道ルートの来島海峡大橋)。自動車道路の下の、まるで天井裏のような所を通る鉄道よりも、青空の下を通る自動車道路の方がはるかに開放的で、気持ちがよかった。見れば、自転車道路が併設されていて、たくさんの人が自転車をこいでいる。インターチェンジを降りた所にある道の駅には、貸し自転車がたくさん用意されていた。なるほど、これはいい。風当たりが強そうなので、少しでも風のある日はたいへんだろうが、穏やかなる瀬戸内海を眺めながら、自転車をこぐというのは本当に気持ちがいいことだろう。次は、自転車、あるいは瀬戸大橋を走ってみたいものだ、と思った。
 今回、少しでも面白そうな帰宅ルートを探して、高松〜神戸の船を見つけた。小豆島の坂手港経由で神戸まで4時間半。高校時代に遠くから眺めていた家島群島の沖を通り、明石海峡大橋の下をくぐる。私達が四国を離れる前日から、日本列島は寒波に襲われ、四国でもひどく冷たい風がピューピュー吹いていた。しかし、なにしろ瀬戸内海である。三角白波がたくさん立っているにもかかわらず、うねりというものが一切ない。船の中で目をつぶっていれば、海を船で進んでいるという実感すら出来ないほど、船は静かに進んだ。
 私の瀬戸内海に対する思いというのは、以前書いたことがあるのだが(→こちら)、この穏やかさと気候の温暖とは本当に日本人の心のふるさとだ。次に行く時には、瀬戸内海の島を訪ねて、穏やかでのんびりした時間をそのものを味わうような旅行をしてみたいものだな、と思った。