しばらく時間が空いてしまった。四国旅行の続きである。私がどこに行っていたか分からないという人は、(1)を参照して下さい(→こちら)。
我が家の子供達は歴史が大好きで、子供向けの平易なものが中心ではあるが、本はよく読んでいるようである。その都合で、あちらこちらのお城が見たい、という話になった。
四国というのは、集中的なお城見物には絶好の場所である。現在、日本には江戸時代以前からの木造天守閣が12残っているが、その3分の1に当たる4つが四国にある。ちなみに、12の現存木造天守とは、だいたい北から順番に、弘前、松本、丸岡(福井県)、犬山、彦根、姫路、備中松山、松江で、これに四国の丸亀、松山、宇和島、高知が加わる。江戸時代に存在した城の数は170ほどなので、12というのは7%に過ぎない。
また、日本には三大水城(みずじろ)というものが存在する。「水城」と言えば、一般には「みずき」と読んで、太宰府にある古代(7世紀)の城を思い浮かべるが、「みずじろ」は、それとは違う。海岸近くにあり、堀に海水を引き込んでいる城のことである。「三大」というからには、他にも水城があちらこちらにあるように思われるが、探せど探せど、4番手、5番手は見つからない。3つで全てのようだ。「三大」と付けるのは、「水城(みずき)」と混同しないようにするためかも知れない。
3つのうち、四国には2つがある。今治と高松だ。他の1つは大分県の中津城である。今回の旅行では、それら2つの水城も訪ねることができた。今治には復元された鉄筋コンクリート造りの天守閣がある。遠くから一見しただけではコンクリートであることは分からない上、天守閣以外にも、多くの建物を復元したためか、いかにもバランスの取れた城の全容がとても美しい。高松には石垣だけが残っていて、建物はない。水城の水城たるゆえんである堀はしっかりと残っている。
さて、日本のネパール・祖谷渓で肝をつぶした私は、その翌日、木造天守閣を持つ高知城を訪ねるべく、高知へと移動した。大歩危から高知までは、特急列車でわずか1時間弱に過ぎない。たとえ、かずら橋から駅への戻りが18時になったとしても、その日のうちに高知に出るのは容易である。私がそれをしなかったのは、景色の見えない移動は「旅行は線」主義に反するからである。冬至の日没は早い。
高知では、三翠園という少し高級なホテル(温泉)に泊まった。行ってから知ったのだが、このホテルは、西郷隆盛と山内容堂が会見した場所に建てられているらしい。敷地内に藩主山内家の隠居屋敷が残っており、西郷と容堂が会見した場所には、その旨書かれた看板が立っている。南には鏡川が流れ、西に道路1本挟んだ向かい側には歴代藩主を祀る山内神社がある。北に10分あまり歩くと高知城だ。
ほんの少し回り道をしながら、高知城に向かう。
武市半平太(号:瑞山)が切腹をした場所に、「武市瑞山先生殉節之地」という碑が建っている。繁華街に近い道端だ。武市が佐幕・開国派の頭目・吉田東洋暗殺の罪で腹を切ったのは、『龍馬がゆく』でも最も凄惨な場面である。彼は、武士の尊厳をかけて腹を三文字に切った。現在はまったくただの市街地なのだが、そのようなことを知っていて碑を見ると、なんとも感慨深い。ある意味で狂気の沙汰である。自分の腹を三文字に切ることが、彼の尊厳を守り、あるいは高めるとも思えない。もちろんそれは、今日に生きる私の感覚である。一方で、その腹の据わり方、剛胆には、思想の違いを超えて深い畏敬を感じる。よほど強い社会変革への意志と、覚悟、そしてプライドというものがなければ、そのような狂気には到達できない。腹を切るために短刀を握った時の武市の気持ちを想像しようとしてみるが、やはりそれは不可能だ。
夕食の下見のつもりで「ひろめ市場」(後述)の中を抜け、山内容堂生誕の地を訪ねると、次こそが高知城だ。高知城の入り口、追手門の脇に「国宝 高知城」という大きな石碑が建っている。現在、国指定重要文化財である高知城も、1934年から1950年までの16年間は国宝だったのである。能書き(主に高知城のパンフレット)によれば、国宝から重要文化財への変更(格下げに見える)は文化財保護法の施行によるらしいが、これは説明になっていない。
仕方がないので、安直にネットで調べてみると、文化財保護法の施行に伴い、戦前の国宝は一度全て重要文化財とされた上で、その中で特に価値の高いものが改めて国宝に指定し直されたようである。新法の制定を機に、国宝を整理したということだ。国宝指定を受けた城は、現存12天守閣を持つ城のうち、松本、犬山、彦根、姫路、松江である。宇和島城、松山城、丸亀城を含む他の現存12天守閣を持つ城は、全て高知城と同じ、旧国宝であるが、「国宝」の碑を持っているのは高知城だけだった。
能書きを読んで、高知城の構造や特長は理解したつもりだったが、私にとってのお城の価値とは、外観、つまり風景としての美しさだ。高知城は決して大きな城ではないが、こぢんまりと美しい。天守閣だけではなく、付属する御殿や本丸を取り囲む回廊部分が残っていることもポイントが高い。
城が要塞である以上、天守閣からの眺めが悪い城というのは存在しない。どこのお城に行っても、本当に気持ちのいい遠望を楽しむことができる。高知城も例外ではなかった。地図と対照しながらゆっくりと四方の景色を確かめてから城を下り、せっかくなので、北から西へと外郭を回って坂本龍馬生誕の地へと向かった。