終業式(正しくは閉講式)が終わって早々、家族で1週間ばかり四国へ行っていた。家族そろって時間が確保できる時期というのがここしかないので、2〜3年に1度、断固として休みを取り、子供達を研修旅行(ただの旅行?)に連れて行くことにしているのである。一昨年の京都・奈良以来、ということになる。
家族の要望に耳を傾け、私自身も新鮮な気分で行くことができ、時間と費用の許す場所、ということで、今年は四国と決まった。実は、恥ずかしながら、四国は私も高松と徳島しか行ったことがなく、高知と愛媛は県そのものが初めてであった。
が、なにしろいつも言うとおり、「旅行は線」である。往復の時間とて、一瞬たりとも無駄な時間はない。新幹線と飛行機ばかりが隆盛する昨今、往復の経路を考えるのがなかなかの難問だ。で、結局、四国内での目的地はできるだけ子供達の意向(1にかずら橋、2に大三島、3に高知城と桂浜、4に道後温泉と松山城)を尊重しつつ、我が家がたどったルートは以下のとおりであった(・・・は徒歩。Rは国道。PRは県道)。
12月22日(土)
石巻17:53−(JR快速)−18:52仙台19:10−(やまびこ54号)−21:12東京22:00−(サンライズ瀬戸)−
12月23日(日)
−8:52琴平・・・金刀比羅宮・・・琴平13:03−(南風9号)−13:31阿波池田(レンタカー)−(PR32)−かずら橋−(PR45)−大歩危−(R32)−阿波池田16:44−(JR普通)−17:07小歩危
12月24日(月)
大歩危9:42−(しまんと5号)−10:37高知・・・高知城・・・坂本龍馬生誕地・・・ひろめ市場
12月25日(火)
高知駅(レンタカー)8:15−(PR34)−桂浜−(R55)−室戸岬−野根−(R493)−奈半利−(R55)−19:40高知駅
12月26日(水)
高知8:26−(しまんと1号)−9:26窪川9:40−(JR普通)−12:15宇和島・・・宇和島城・・・闘牛場・・・宇和島13:58−(宇和海18号)−15:20松山−(路面電車)−道後温泉
12月27日(木)
道後温泉・・・松山駅(レンタカー)9:15−道後温泉−(R317)−今治城−(西瀬戸自動車道)−大三島・大山祇神社−(同前・R196)−17:45松山駅・・・松山市駅界隈−(タクシー)−道後温泉
12月28日(金)
道後温泉−(路面電車)−松山駅・・・松山城・・・松山駅11:23−(しおかぜ16号)−13:28丸亀・・・丸亀城・・・丸亀15:08−(JR快速)−15:34高松・・・高松城址・・・商店街
12月29日(土)
高松駅5:30−(連絡バス)−5:45高松港6:00−(ジャンボフェリー)−10:30神戸・三宮港・・・三宮駅11:01−(阪急・特急)−11:28梅田12:50−(阪急・特急)−13:17三宮・・・新神戸14:06−(のぞみ130号)−16:53東京17:28−(やまびこ151号)−19:37仙台20:46−(JR快速)−21:46石巻
暇な方は、地図を片手に丁寧に上のルートをたどっていただけると、なかなかよく練り上げられた行程であることが分かると思う(自画自賛)。
最終日の神戸から梅田往復だけは、現地で急遽決定のイレギュラーであった。私は時間を縛られるのが嫌なので、基本的に特急列車はすべて自由席である。ところが、帰宅日に当たる12月29日は帰省ラッシュのピークである。この日の東京→仙台だけは自由席というわけにはいかないぞ、と気付いたのが、指定席券の売り出しが始まって1週間も経った頃であった。フェリーを下りてそのまま帰ってくるつもりだったので、14時過ぎに東京を出る新幹線と思ったのだが、既に全て満席となっていた。家族分指定席券の確保できる最も早い新幹線が17:28であったため、それを確保した。すると、神戸か東京で4時間ほどの時間つぶしが必要となった。神戸・元町の南京街だ、北野の異人館街だ、といろいろな話が家族内で出たが、荷物もあることだし、フェリーの中で私がふと思いついて、例の(→こちら)梅田駅に連れて行くことにしたものである。家族にとって時間つぶしはどこでもよかったのだろう、いぶかしげな顔はされたが、強固な反対には遭わなかった。
思想信条に反してレンタカー利用の強行突破を3回もしたとは言え、実質1週間という時間の制約の中では、最大限いろいろなものを見て歩くことができた。天候にもまずまず恵まれたし、正確無比な日本の公共交通手段のおかげもあった。特に気になった点については、後日(1週間を空けるためにかなり無理をしたので、しばらくドタバタが続く。よって後日)、多少の思い出話でも書くことにする。とりあえず、今日はここまで。