「西郷どん」に泣く

 前の日曜日、NHKの大河ドラマ「西郷(せご)どん」が終わった。私はもともと、大河ドラマを見たことなどなかった。ところが、歴史ファンたる我が家の子供達が、なぜか前回の「女城主直虎」を見始めたところ、我が家は構造上プライバシーがないために、なんとなく付き合う羽目になってしまった。
 「直虎」はいかにもでっちあげの「テレビドラマ」という感じで、あまり感心しなかったが、「西郷どん」はよく出来た作品だと思った。音楽も素晴らしい。
 そもそも、幕末維新の人物達というのは、その名前がよく知られている割に、本当のところ何をしたのかよく分からん、という人が多い。私にとってその代表格が坂本龍馬西郷隆盛である。坂本龍馬は、ご多分に漏れず、司馬遼太郎『龍馬が行く』でその存在を強烈に印象づけられ、自分自身の中でのイメージを作ったのだが、では彼が何をしたかと言えば、やっぱりよく分からないのである。少なくとも、龍馬の名前を全然知らない人に、その価値を簡潔明瞭に説明できるかと言えば、自信がない。
 西郷隆盛についても、高校日本史の参考書レベルのことしか知らない。初代陸軍大将といっても、後に逆賊となったからか、政府高官としての印象は薄い。かろうじて内村鑑三『代表的日本人』(岩波文庫)は読んだことがあって、そこで描かれた謙虚・質素な人物像には好感を持っていたけれど、いかんせん、西郷と言えば「征韓論」のイメージが強く、「征韓」という威圧的、横暴な言葉の印象が、私の中でそのまま西郷隆盛像を形成してしまったの感が否めない。甚兵衛を着て、犬を連れている西郷像は、そのアンバランスによって、質朴に好感を持つというよりは、愚鈍、滑稽な印象を与える。
 日本を代表する偉大な人物5人の中で西郷を入れた内村にしても、朝鮮半島問題については、以下のように書いている。朝鮮が、日本の新政府が派遣した使者に対して無礼な態度を取ったことと、朝鮮に居留する日本人に対して敵意を示しているということについての、西郷の態度を書いた部分である。

「放任しておいてよいものか?西郷とその同志は主張しました。無礼だけではまだ戦争に突入できません。高官からなる少数の使節を半島の宮廷に派遣し、無礼に対する責任を追及するがよい、それでもまだ横柄な態度をつづけて、新しい使節に対して侮辱を加えたり、身体を傷つけたりしたと仮定せよ、その時こそ朝鮮に軍隊を派遣する合図とみなし、「天」の許すかぎり征服せよ。」

 どうしても、文章というのは後ろへ行くほど大切なことが書いてあるように読める(実際、たいていの場合はそうであろう)ので、軍を派遣して征服するという所に西郷の真意があると読めてしまう。新たに使節を派遣するにしても、まるで戦争の口実を得るためであるかのようだ。
 「西郷どん」は、西郷を徹底的に無私・無欲で、弱者に対する深い愛と誠意を持つ人として描く。朝鮮問題については、危険を冒して単身で朝鮮に乗り込んででも、武力衝突を回避し、誠意によって和解に至りたいと念願していた人物としてとらえる。
 西郷隆盛の死後も、彼の人柄を慕う人がたくさんいたことは、少しだけ知っていた。それは、彼の業績によるのではなく、人柄によるらしい。そのことを「西郷どん」は強調して描き出す。
 いま「強調して」と書いたのは、不用意だ。実際がどうであったかは分からないからだ。作家によって描かれた人物像を事実と思ってしまうのはよくない。ただ、林真理子が描く西郷隆盛像は魅力的だった。鈴木亮平の好演もあってか、この人には死んで欲しくない、彼が死ぬことが分かっている最終回を見ることがつらい、と思ったほどだ。
 二つのことを思う。
 ひとつは、私が西郷が何者であるか分からないと言うのは、「初代総理大臣・伊藤博文」とか「内務卿・大久保利通」とかいった肩書きがなかったことによるのであって、このことは、私もそのようなラベル主義・権威主義に毒されていることを示しているのではないか、ということだ。肩書きがあったからと言って、その人が何をした人なのか具体的に分かるわけではないのに、である。
 もうひとつは、やったことよりも、人柄というものは大きな力を持つ、ということである。かつて内村鑑三『後世への最大遺物』という本に触れたことがある(→こちら。今日、内村が2度登場したのは単なる偶然)。内村はその中で、人間が後世に残すことの出来る最高の贈り物は何かということを考察し、それは「勇ましい高尚なる生涯」であると結論づけている。「勇ましい」というのは、人生において繰り返し立ちはだかる困難に敢然と立ち向かう気概を言うのであって、武勇に誇る意味ではない。前向きで誠実な人生こそが、後世に遺すものとして最も価値がある、というのが内村の結論だ。
 西郷隆盛が賊軍の長として、処刑に近い死に方をした後も、彼を慕う人が多かったということは、まさしくそのことを裏付けているようだ。幕末維新に生きて何をした人なのかはよく分からない。写真の1枚も残っていない。だが、後々まで人に慕われ、今もなおその名が残っている。あたかも一見平易な基礎基本を大切にすることが、上達すればするほど大きな価値を持つように、確かに、「勇ましく高尚なる人生」こそが、時間を超えて、多くの人に力を与え続けるのかも知れない。