竹田城、伊和神社、書写山円教寺

 神子畑から明延に行く途中、竹田城を見物した。竹田城には建築物が何も残っていない。石垣だけの廃墟である。有名な写真は、山城である竹田城が雲海の上に浮かんでいるというものだ。当然、竹田城に行けばそんな写真は撮れない。竹田城から播但線や国道312号線の走る谷を挟んで反対側の山から撮った写真であることは、容易に想像が付く。
 それが立雲峡という場所だというのは、調べればすぐに分かるのだが、「峡」とは谷間の意味だから、展望地としてはふさわしくない。本当に竹田城をよく眺めることが出来るのか、半信半疑で訪ねた。
 山の中腹まで車で上がり、そこから整備された山道を20分あまり歩くと第1展望台に着く。通常、私たちが見る竹田城の写真は、ここから撮ったもののようだ。私が行った時は黄砂混じりの春霞がかかり、「雲海上の古城」ではなかった。途中、苔むした谷地形の横や、滝の脇を通ったりはするが、基本的に明るい尾根道である。どこが「峡」なのかはよく分からなかった。
 現地でもらった地図によれば、竹田城はすぐ近くまで車では行けないらしい。最寄りの駐車場からでも、JR竹田駅からでも徒歩40分とある。私はそれを好ましいと思った。
 観光地図で徒歩40分ということは、私の足なら25分だろう。しかし、往復すれば、見物時間も含めて1時間以上はかかる。石垣だけの廃墟は廃墟で、それなりに風情があって面白いだろうとは思ったが、立雲峡でほとんど1時間使ったし、なにしろ暑くて、半袖Tシャツで歩いていても汗をかくので、竹田城に登る気にはならなかった。
 早々、車で明延に向かう。途中の「大屋市場」という場所は、かつて存在した養父郡大屋町の中心地なのだが、各地から集まってきた物資をやりとりする市場があったことをうかがわせるノスタルジックな地名だ。小さくはあるが、実に古めかしい町並みが残っている。
 明延から、県道6号線を一宮町に下る。倉床川という美しい川に沿った気持ちのいい道だ。住みたくなるような、穏やかで風情ある日本の山里。
 安積で国道29号線に出る。とても懐かしい道だ。龍野に住んでいた時には、年に何回か、この道を通って、鳥取県との県境に近い戸倉スキー場に連れて行ってもらっていた。自転車で友達と引原ダムまで行ったこともある。とは言え、どんな場所だったかについての記憶はほとんどない。
 道の駅「播磨いちのみや」に車を止めて、伊和神社に行った。目の前の国道を何度も通りつつ、おそらく一度も立ち寄ったことがなかった。神社を囲む立派な森が、社格の高さをよく表している。1000年以上の歴史を持つ正一位の神社であるが、なぜか国宝にも重要文化財にも指定されているものがない。後でネットで調べれば簡単に分かるだろうと思って、訪ねずに帰って来たら、社殿の作られた時期がどうしても探せない。
 驚くのは軒先である。屋根を支えるのは三手先(腕状の組み物が三重になっている)である。なにしろ、組み物を作るのには大きな木の塊が必要なので、三手先はとてもぜいたくな作りで、格の高い建物にしか使われない。伊和神社の場合、その組み物が、ほとんど隙間なく作られているのだ。これほどの密度で三手先が作られている建物が他にあるのかどうか知らない。軒を支えるだけなら、これほどの組み物は必要ない。このことは、間違いなく、伊和神社に注ぎ込まれた思いの強さと費やされた工費の大きさを物語る。
 更に車を走らせて、15時過ぎに書写山の麓に着いた。書写山に登るのは、高校時代以来である。高校時代には、友達と3~4度訪ねたことがある。いつも自転車で東洋大姫路高校グランドの脇まで来て、そこから歩いて登った。土曜日の午後の遠足にほどよい距離であった。
 10年ほど前、同僚が出張で姫路に行くのに、姫路城以外でいい見物先はないか?と尋ねるので、記憶に自信はなかったが、書写山を勧めた。彼は帰って来るなり、「あそこはすごい!感動しました。」と、激しく感謝してくれた。以来、久しぶりで行ってみたいと思っていたのである。
 時間の都合でやむを得ず、そして初めて、書写山に上るのにロープウェイを利用した。書写山は高さ370mの山で、その上に天台宗円教寺がある。高校時代には拝観料など払ったことがないが、今回は「志納」という形で500円を集めていた。ごった返しているというほどではないが、閑散ともしていない。山中の広さを考えると、相当数の見物人がいたのだと思う。ここでさえ、外国人が多い。ロープウェイがあるくらいだから、常にそれなりの参拝者がいるのだろうが、高校時代にはほとんど人に会った記憶がない。静かなお寺だった。
 幅の広い山道を息を切らしながら歩き、最初に見えてくる大建築は、舞台作りの摩尼殿である。高校時代の記憶は甚だ希薄だが、なるほど確かに立派な大建築だ。次は大講堂、食堂(じきどう)、常行堂が三面に建つ広場。ここは圧巻。食堂は2階建ての珍しい作りだ。15世紀半ばに着工したが、規模の大きさと構造の複雑さとから工事が遅々として進まず、完成したのはなんと1963年だという。ガウディも驚きの500年だ。そして最後は開山堂(奥の院)。ロープウェイの駅発着、私の足でもひとまわりで1時間半弱かかった。
 姫路と言えば、姫路城。加えて、私は御津室津~相生~赤穂御崎という瀬戸内海岸が大好きなのだが、円教寺もとなると、旅行先として姫路を選ぶ場合、どうしても丸1日の時間が必要になる。ちょっと寄り道、というだけでは済まない町なのだ。
 ホテルに帰り着いたら、息子は既に戻っていた。バスを利用し、歩いて書写山に上ったそうである。そしてやはり「めっちゃ良かった!」と言っていた。ご苦労。