美しく哀しい室戸岬・・・四国旅行(6)

 高知での2日目、桂浜と室戸岬へ行った。今回の旅行期間中でもっとも天気に恵まれた1日である。穏やかに晴れ上がり、気温も上がって、カッターシャツ1枚で外を歩くことが出来る。
 そんな桂浜は美しかった。龍馬が愛した場所だ、などという能書きはどうでもいい。外洋であるにもかかわらず、まるで瀬戸内海のように穏やかな海であった。早い時間だったこともあって、斜めから差す太陽に海が光る。高台に建つ、開館したばかりの新しい坂本龍馬記念館から見る太平洋は、地球がまさに球であることをよく実感させてくれた。
 室戸岬への道も快適だった。高知龍馬空港を過ぎてしばらくすると、国道55号線に出る。これは素晴らしい道路だ。太平洋がとてもよく見える。地図を見ると「土佐湾」と書いてあるが、弧が大きいため、湾には見えない。広大なる太平洋だ。土佐くろしお鉄道の終点・奈半利(なはり)を過ぎると、更に海は近くなる。
 室戸岬一帯は「ジオパーク(地球の成り立ちや構造を学べる場所)」に指定されている。日本に44あるジオパークの中で、ユネスコ世界ジオパークにも認定されている地域が9箇所あるが、室戸岬はそのうちの1つだ。私はお墨付きというものがあまり好きではない。権威主義的なにおいがするし、日本の場合は特に、それを前面に出して売り出すことで一儲けしてやろうという魂胆が、よく見られるからである。だから、ジオパークについても、あまり意識して見物に行ったりしたことはないのだが、この室戸岬は「ジオパーク」であるにふさわしい、素晴らしい場所だ。
 絵に描いたような海成段丘が延々と続くスケールの大きさ。先端部にはタービダイトという堆積、褶曲、隆起を集約的に集めたような岩石層が見られる。東海岸には海洋深層水を採取し、商品化している会社がいくつも見られるが、それは、海底が陸地から最も容易に海洋深層水を採取できる形状になっているからだということだ。海洋深層水は、約400mの深海から採取される。それが容易にできるということは、海が急激に深くなっているということである。
 岬周辺には遊歩道が整備され、絶景を見ながらのんびりと散策ができる。灯台は、海岸から山道を歩いて20分ほど、海抜150mあまりの高さの所に建てられている。隣には、四国八十八箇所霊場第24番札所最御崎寺(ほつみさきじ)もある。
 私たちは、西海岸を南下し、東海岸を野根まで北上した。途中、三津という所には、「世界ジオパークセンター」という無料の博物館があって、室戸岬の自然について学ぶことができる。隣には、やはり海洋深層水の会社があって、「見学を随時受け付けています」(だったかな?)という大きな看板が出ていたが、残念ながら、私が訪ねた時には閉まっていた。
 野根からは国道493号線(旧土佐浜街道)で奈半利へ向かって山を越える。室戸岬インド亜大陸と形状がとてもよく似ている。この道は、さしずめデカン高原越えといったところだ。途中、北川村は中岡慎太郎の出身地で、生家が残り、資料館もあるのだが、残念ながら日没のために訪ねることはできなかった。
 さて、いいことばかり書き連ねてきたのに、なぜ今日のタイトルには「哀しい」という言葉が付いているのだろうか?
 それは、この美しい海岸線を車で走りながら、私の頭の中に繰り返し浮かんできたのが、あの醜悪な防潮堤で海が見えなくなった、東日本大震災被災地の「元々は美しかった」海岸線の姿だったからである。
 室戸岬界隈は、近い将来起こると言われている南海トラフ地震で、最も激しく津波の被害を受けると予想されている地域だ。東日本大震災津波の破壊力を見せつけられた後であれば、当然のこと、予防的な措置が施されるはずである。それとも、室戸は、やはり実際に被害が出た後でなければ、対策に本腰にならないのだろうか?いや、決してそうではない。
 土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線)の線路は高架になっている部分が非常に多い。どう考えても大赤字、列車は常に単行(1両だけ)運転だ。地価が高いため土地を有効利用することが必要で、しかも、踏切をできるだけ作りたくない都市部でもないのに、あれだけ延々と建設にも維持管理にもコストのかかる高架にしたのは、津波対策であるに違いない(開通は東日本大震災より前の2002年)。
 また、道路を走っていると、「おびただしい」と言ってよいほどの数の津波避難タワーを目にする。東日本大震災の後で作られたのだろう。全て新しいものに見えた。標高表示や津波の危険性についての警告表示もある。
 つまり、近い将来の南海トラフ地震に備えて、それなりに危機感を持ち、対策は取っている。だが、防潮堤には手を出さなかった。皆無ではない。視界を遮らないレベルのものは設置されているし、ごく一部ながら、車からは海が見えないところもある。しかし、不満を感じなくて済む程度に限定的だ。
 室戸岬は、美しく不思議な自然を満喫できる場所として、人を集め続けるだろう。醜悪なコンクリートの壁に囲まれた三陸海岸に住む人間として、それは哀しみを誘う風景だった。